風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子53

鷺・白鳥・鶴の類食ふべからずと旧約聖書申命之記     『鷹の井戸』「夏至の火」
水銀を含みにけりなしろとりの中なる鷺もつとも異(あや)

葛原妙子の第八歌集『鷹の井戸』夏至の火」の中には上記のような面白い短歌が組み入れられている。

「食べるな」と命じられているのは、「水銀を含んでいるから」とか体に悪いからという理由ではないだろう。一般的にキリスト教において言われている「命令に従う」というのは、理由は分からないが神が命じられるので従うということ、人間には理解しがたい神の考えを重んじるということ、なのだと思う。
妙子自身も「水銀を含有しているから食べてはいけないと命じている」とは思っていなかっただろう、と思う。それをこのように詠んでここに組み入れるところに、葛原妙子の、歌の中に自らを歌いこめる技量の高さが現されている、と思うのである。
この二首のすぐ後に、葛原妙子52で取り上げた夏至の火の暗きに麦粥を焚きをれば」の歌が来る。言ってみれば、その前のこの二首は、少しばかり黒いユーモアを含ませた妙子の愛の表明なのだ。「私は、水銀を含んでいるかも知れないようなものを食べさせたりはしませんよ。これから麦粥を焚くんですから、愛する者のために」、と。そして実際、妙子はその生涯をかけて愛したのだ、と私は思う。


以下に、歌に詠まれた旧約聖書申命記を引用する。

ただし、次のものは食べてはならない。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、黒とび、はやぶさ、とびの類。各種のからすの類。だちょう、夜たか、かもめ、たかの類。ふくろう、みみずく、むらさきばん、ペリカン、はげたか、う、こうのとり、さぎの類。やつがしら、こうもり。(申命記14:12~18)

口語訳聖書の申命記では「白鳥」や「鶴」は出てこないのだが、妙子が親しんでいたであろう文語訳聖書には記載されている。

但し是等は食ふべからず即ち都 黄鷹 鳶 鸇 鷹 黒鷹の類 各種の鴉の類 駝鳥 梟 鷗 雀鷹の類 鸛 鷺 白鳥 をすめどり(漢字が解りづらいのでひらがなで表記) 大鷹 鵜 鶴 鸚鵡の類 鷸および蝙蝠(申命記14:12~18)

聖書のこういった箇所は、キリスト教徒でもなかなか読めるところではないと思うのだが、一人で読んで、しかも様々に思い巡らしているのである。葛原妙子という人は凄い人だったんだなぁと本当に感心してしまう。


追記
これらの歌を、水中の生き物で詠まなかったのは、葛原妙子の中に水俣病患者への配慮があったためではないかと私は考える。第八歌集『鷹の井戸』が出版されたのは1977年である。

申命記の中には水中の生き物で食べてはいけないと命じている箇所もある。

水の中にいるすべての物のうち、次のものは食べることができる。すなわち、すべて、ひれと、うろこのあるものは、食べることができる。すべて、ひれと、うろこのないものは、食べてはならない。これは汚れたものである。(申命記14:9~10)