風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」芳賀言太郎のエッセイ第14回


● 第902回 狭間の好奇心
 石田さんも今森さんも、「端境」や「間」を自分の立ち位置にして、両方が見えるという状態にいる。どちらか一方に軸足を固定している人から見ると、中途半端ということになるかもしれない。
 …。
 しかし、それでもやはり両方が見えるポジションにいる人は、その人なりの役割がある。(抜粋引用)

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」第14話 偉大な聖人とニワトリの奇跡  〜サント・ドミンゴ・デ・カルサーダの伝説〜
 翌朝、まだ暗いうちにアルベルゲを出発する。…。途中、墓地の入り口に美しいロマネスクの門がある。かつてのサン・ファン・デ・アクレ救護院の門を移築したものである。働きを終えてしまった場所もこのような形で残っているのは嬉しいものである。よいものは決して滅びないということだろうか。
写真3枚(写真はリンク先でどうぞ)。救護院の門、正面ファサード、柱頭の詳細 繊細な彫刻が施されている

(中略)

 昼過ぎにはNajera(ナヘラ)に着く。まずはアルベルゲで今日のベッドを確保し、その後で昼食のため町に出る。これを逆にしてしまうとベッドの空きがないという悲惨な目に遭うことになる。…。

(中略)

 サンタ・マリア・ラ・レアル修道院は1052年にナバーラ王ガルシア・サンチェス3世が妃ドニャ・エステニファの願いによって救護院と共に創設したもので、歴代の王が葬られている。回廊の彫刻は触れたら壊れそうなぐらい繊細で、透かし彫りはまるで石造りのレース編みである。写真4枚(写真はリンク先で・・)

(中略)

 丘の上から町が見える。今日の目的地、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダである。「リオハのコンポステーラ」とも呼ばれるこの地は巡礼者のために石畳(カルサーダ)を整備し、橋、救護院などの建設に生涯を捧げた聖ドミンゴによって発展した町である。写真3枚(写真はリンク先で)
 聖人となっているドミンゴであるが、若い頃には修道院に入会を拒否されるという挫折を経験している。ドミンゴは特定の修道会に属さない「隠修士」として 一人生きることを決意し、深い森の中に籠り、祈りと瞑想の日々を送っていた。しかし、飢えや渇き、怪我や病気に苦しみ、盗賊に襲われ、強欲な渡し守に路銀 を巻き上げられる巡礼者たちを目にして、巡礼者のために生きることを決意したのであった。…。
写真4枚。
 カテドラルの地下には霊廟が設けられ、ドミンゴの遺骸が安置されている。そして霊廟の入口の向かいにあるのが鶏小屋(Gallinero)である。ここでは実際に鶏が飼われており、これにはひとつの伝説がある。

(中略)

 ここには2軒のパラドールがある。…。私が泊まった4つ星のパラドールは先に書いた救護院を改装したものであり、重厚で歴史を感じさせる。…。パラドールとはスペイン語で休息所の意味で歴史的な建築物を改修して半官半民の宿泊施設にしたものである。…。
 …。巡礼中、一度はパラドールに泊まってみたいと思っていたので、この機会を利用したのだ。
写真2枚。
 石造りのロビーには外とは異なる時間が流れていた。サロンや階段は当時のままで、壁には火で暖と灯りをとった時代の炭の跡が残っている。…。(抜粋引用)
 
コラム「僕の愛用品」の14回目は、杖
Black Diamond(ブラックダイヤモンド) ULTRA DISTANCE(ウルトラ・ディスタンス)

 歩くという行為において一番大事な道具は靴である。それに異論はない。しかし、…。そのための補助用具が杖であると言えるだろう。1日に何時間も歩き続ける巡礼では、 靴に匹敵して大事な道具である。
 古い時代には、動物や盗賊から身を守るための武器でもあった杖は、水筒代わりの瓢箪、雨具としてのつばの広い帽子とならんで、巡礼者のシンボルになっている。
 このウルトラ・ディスタンスはカーボンを使用した同社最軽量のトレッキングポールである。…。
 とはいえ、日帰りから数日行が前提のこのトレッキングポールは、残念ながら私の3ヶ月にもおよぶ巡礼への耐久性は持ち合わせてはいなかった(当然である)。
 巡礼を終わったあとで振り返ると木の棒でも十分であったとは思う。しかし、…あの一番苦しいときに、…、自分を支えてくれたという意味では、私にとってトレッキングポールはなくてはならないものだったのだ。…。私の相棒はフィステーラの海岸、岩陰に隠れた砂浜の端に静かに眠っている。(抜粋引用)