風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」芳賀言太郎のエッセイ第11回

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」第11話 ワインの泉 〜イラーチェ〜
 エステーリャの町を出発すると、ぶどう畑が広がっている。…。
 Irache(イラーチェ)は修道院によって栄えた村である。イラーチェ修道院は…。11世紀の末にはナバーラ王ガルシア三世の寄進によって救護院が設置され、その後長く巡礼者への救護活動を行ってきた。現在修道士はおらず、修道院としては機能してはいない。そしてこの修道院のワイナリーが現在の「イラーチェ醸造所」となっている。
 修道院とワインとは関係が深い。キリストが「最後の晩餐」で、…、パンとワインとを弟子たちに分け与えて以来、教会はパンとワインを分かち合うミサ(プロテスタントでは聖餐)を行ってきた。
 町にある教会ならワイン商から買うことができるが、人里離れた修道院ではそうはいかない。修道士たちは荒れ地を開墾してぶどう畑を作り、醸造所をつくって自分たちでワインを調達したのである。
 ところがワインというものは、肥沃な土地で沢山実ったぶどうからよりも、痩せた土地で懸命に実をならせたぶどうからの方が質のよいものができる。そのため、修道院が開いたぶどう畑でつくられたワインは自然と良質のものが生まれた。…。
 イラーチェ修道院のワイナリーを引き継いだ形で1891年に創立されたのが「ボデガス・イラーチェ」である。このイラーチェ社が巡礼者のために提供している無料のワイン提供所、通称「ワインの泉」は巡礼者のあいだでは知られた名所である。私も巡礼路に面している「ワインの泉」に足を運んだ。看板には

「1000年以上に及びイラーチェ修道院を通る巡礼者たちは温かいもてなしを受けてきた。それを受け、ボデガス・イラーチェ社も巡礼者たちが無事サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着できることを願い、一杯のワインを振舞うものである」

と書かれている。
 かつてイラーチェ修道院では巡礼者に対してパンやワイン、さらには医療や宿泊を提供していた。その修道院のワイナリーを受け継ぐこの醸造所も、この伝統を守って巡礼者に無料でワインを提供しているのである。
(写真)ワインの泉 左の蛇口からは赤ワイン、右の蛇口からは水が出る
(写真)巡礼者へのメッセージ「巡礼者たちよ サンティアゴに無事に到着することを願うなら、この偉大なるワインを一口飲み、幸福に乾杯せよ」
(写真はリンク先でご覧ください)
(中略)
 修道院は分厚い壁で覆われている。修道院は本質的に外に開かれた建物ではない。修道院という共同体はそれ自体で完結することを目指している。それを内包する建築それ自体が一つの世界であり、宇宙なのである。
 このイラーチェ修道院は長年の増改築によって各様式が混在している。…。
(中略)
 ビジャ・マヨール・デ・モンハルディンの村の教会は後期ロマネスク様式で12世紀に建てられた。ロマネスク様式の教会は窓が小さく薄暗いのが特徴ではあるが、この教会は特に暗く、入り口の扉を閉めると内部はほぼ真っ暗である。こうなると、「壁で躯体を支えるため大きな開口部を取ることができなかった」というよりは、むしろ、積極的に暗闇を求めたのではないかと思えてくる。昼でありながら闇に閉ざされた空間で、人は光を外にではなく、内に求めたように思う。(抜粋引用)

コラム「僕の愛用品」の11回目は、万年筆 LAMYラミー アルスター 1,890円 …。
 ラミーは現在でこそドイツを代表する筆記用具ブランドだが、1930年の創立は家族経営の小さな会社でしかなかった。そこで、二代目のドクター・マンフ レッド・ラミーは他社の製品との差別化を図るために「デザイン」を取り入れようとバウハウスに注目する。バウハウスの思想はすぐれた手工業的デザインを安価で機能的に生産し、多くの人に供給するというものであった。芸術家と職人を結びつけたのもバウハウスである。それがラミー2000(1966年)という 画期的な万年筆を誕生させた。アルスターもそのバウハウスデザインの系譜を受け継いでいる。
 …。
 ドクター・マンフレッド・ラミーは
「デザインは、外観を単に飾るものではない。様式を表す言語だ」
と語っている。(抜粋引用)


● 同性カップルの権利条例と霜降りの脂、それに0213 再稼働反対!首相官邸前抗議!
原子力規制委員会が高浜原発が新基準に適合すると言う判断を示したが、再稼働に際して『福井県高浜町は「地元同意」の範囲は立地自治体に限るとの考えだ』だそうだ。
高浜原発基準適合:30キロ圏京都と滋賀「地元同意」は? - 毎日新聞(このサイトにはリンク先からお入り下さい)
しかも立地自治体にも、説明会は行わずにビデオ説明にすることを検討しているらしい。
説明会見送りビデオ放映か 関西電力・高浜原発(このサイトにはリンク先からお入り下さい)
周辺自治体の住民も立地自治体の住人もそれでいいんだろうか。…。
なんでもかんでも『絶対反対』だけでは多数派を形成するのは難しい。世の中には色んな人が居るし、色んな利害がある。…今より世の中を少しでもマシにできるようなポイントを見つけていくのが本来の政治や市民運動のミッションだと思う。(抜粋引用)

昨日は、5時過ぎに関電前に行ってみた。この地方では珍しく雪がちらちら舞っていたんだけど、数人の人が集まっていた。
一人だけ幟を持った人がいて、その幟には「自然エネルギー大国日本へ」と書かれていた。このところ「自然エネルギー推進はどうなんだろう?」と考えていたので、中の一人に、「どういう団体の方達が来ていらっしゃるんですか?中止の時は連絡を取り合っているんですか?」などと尋ねてみた。すると、「連絡とかは何も無いです。年中無休。みんなそれぞれで来てるんです。毎週金曜日5時から6時まで」ということだった。この方は60代か、70代の男性で「自分が生きている間に原発がなくなることはないと思うけど、後を引き継いでくれる人がいれば・・」というようなことを言われたので、プラカードも何も持って行かなかったのだけど一緒に立っていることにした。
そうしたら今度は、花壇を挟んで反対側にいらした方が声をかけてくださったので、色々尋ねてみた。最初は若い人達が始めたんだけど、中心になっていた人がアメリカに行ったり、結婚して他県に移っていったので今はこんな感じ(40代から上の人達が9人ほど)だ、ということだった。初めの頃は、「原発反対、再稼働も反対、子どもを守れ、命が大事」と声を合わせて言ってたんだけど、目の前のホテルのお客から「うるさくて休まらない」と言われて、立っているだけになったという。
途中から、ぬいぐるみのような犬を連れた方がいらして、「原発なんかいらないワン!」と書いたものを首にかけて貰ったわんちゃんもお利口にお座りしてスタンディング・デモに参加していた。
終わってから私の所に来られた(たぶん集まった中で最高齢と思える)小さなおばあさんに「来週も来てくださいね」とお願いされたので、「来週は私もプラカードを作って持って来ますね」と応えた。官邸前だと人によっては電車を乗り継いで参加されるから大変だろうけど、ここだと、私の場合は家から徒歩で5分もかからない。(ミルトス)
● 風の旅人 復刊第5号(第49号) いのちの文(あや) 4月1日発行
今回の復刊第5号には、表紙の写真にとても心惹かれるんだけど、もう一度引っ越さなくてはならないから、注文は引っ越しが済んで落ち着いてからにしたいと思ってる。(ミルトス)