風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『リズム』森絵都=作(角川文庫)

昔書いた児童書の紹介文より、森絵都=作『リズム』(講談社

続けて、森絵都の『リズム』に関連して書いてみたいと思います。

さゆきはごく普通の13才。さゆきの大好きないとこの真ちゃんはロックバンドで歌をうたっている。以前はドラムをたたいていた真ちゃんは言う、「なにをするのにも、いちばん大切なのはリズムなんだ」。その真ちゃんが新宿へ行くという。歌をうたうために新宿へ行くと・・。

シュタイナー教育では“リズム”ということをとても大事に考えるようです。一日の生活のリズム。一週間、一年。そして、幼児のリズム遊戯。この幼児のリズム運動への欲求は、心臓や肺の動きからきていると考えられているようです。呼吸が乱れると生命が危機に陥るように、一定のリズムで動いているときに幼児の心身は健全に保たれると考えるのだそうです。
このリズム運動への欲求は、小学校に入ると、手や腕を使ってものを作る家庭科の中で保障されていくようです。手や腕を使ってものを作ることは子どもに無上の喜びをもたらすと言われています。私も編み物や縫い物が大好きで、一定のリズムで編み物をしている時など何とも言えない穏やかな気持ちになります。ですから、リズム運動が心にも良い影響を与えるということは容易に理解することが出来ます。

ドナ・ウィリアムズ自閉症だったわたしへ』の中で「まわり中が一定のリズムで動いている限り、わたしは幸せなのだった」と書いています。
ドナが大人になって自分が自閉症であることを知ってから、自閉症の子ども達のキャンプに参加しますが、パニックに陥ったアンに自分で自分を落ち着かせる術を伝えていく場面は感動的です。

 ・・。わたしは昔自分でよくやったように、単調な繰り返しのメロディーを口ずさみながら、アンの腕をやさしく叩いた。しっかりと自分でしがみつくことのできるものを、何か教えてあげなくては。世の中には、それを台無しにしてしまう専門家がいつもいるものだけれど。
 ・・。わたしはアンの手を取ると、とんとんと自分で自分の腕を叩くようにさせ、それがメロディーとも一体になるように、導いた。
 やがてわたしは自分の外から、かすかな、けれど確かなリズムが流れ始めるのを、聞いた。アンがのどの奥の方で、自分でメロディーを歌い始めたのだ。ゆっくりと、わたしは自分のハミングをやめていった。すると期待していたとおりに、彼女はその後を自分一人で歌い出した。まるでそれが、初めから自分の歌であったかのように。アンはメロディーを続け、腕も一人でとんとんと叩き続けた。そうして突然、わたしに会ってから初めて、きちんと両方の目を開き、まっすぐにわたしを見つめたのである。(ドナ・ウィリアムズ=著『自閉症だったわたしへ』(新潮文庫)より)

この森絵都『リズム』の中で、東京に行く真ちゃんが大切なスティックをさゆきに渡して言う言葉が印象的です。
「まわりの雑音が気になって・・・親とか、教師とか、友達とかの声が気になって、自分の思うように動いたり笑ったりできなくなったら、そのときはこのスティックでリズムをとってみな。さゆきにはさゆきだけのリズムがあるんだから。それをたいせつにしてれば、まわりがどんなに変わっても、さゆきはさゆきのままでいられるかもしれない」
この言葉は、作者森絵都から若い読者に贈られたエールなのだと思うのです。

『リズム』森絵都=作(角川文庫)




● 『GとLのお話』と『世界を見るための38講』
いずれにしても、一部の大学を除いて、あとは職業訓練校にしちまえ、という発想はどうだろうか。
4のL型大学では文学より地元の名所を説明する力、マイケル・ポーター(ハーヴァードの経営学者)より会計ソフト、憲法より大型免許という発想は、人間を目先の金儲けの歯車の一部、消耗品とみなす非常にプアな人間観だと思う。
会計ソフトの使い方だけを覚えても、会計ソフトを開発することはできない。大型免許を覚えても、自動車は作ることはできない。今の世の中、付加価値が高いのはモノを使う人間ではなく、新しいモノを生み出す人間だ。
これからの時代に必要なのは自分の頭で考えること、教科書に書いてない問題点を自分で探し、解決策を考え、実行する力だ。急変する環境変化の中での判断力であり、胆力だ。それを養うためには文学や哲学、歴史であったり、自分と違う異なる国の人・環境と触れ合う体験が必要なのだ。
更に問題があるのは、この発想ではGとLが固定化されがちなところだ。実際は往々にして、ある時はG、ある時はL、入れ替わりがあるものだと思う。(抜粋引用)
今回のリンク内容は日本の教育に関わることなので私としては非常に重要な事柄が記されていると思う。言論統制というのは、教育から始まるからである。リンク先に行ってどうか直接読んでいただきたい。
(ミルトス)