風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

自閉症の子どもと3

対照的な二つの概念の学習の中に、「多い・少ない」も取り入れた。「多い・少ない」の比較は二つに分かれるように思う。数的な比較と量的な比較である。

ピアジェの理論において、保存の法則の子どもの認知は、量の保存より数の保存の理解の方が先に来る。上の図のように、等間隔に並べたおはじきの一方の間隔をあけて並べ替えても数は変わらないと認識できるようになるのは小学校就学前後である。

又、右図のような量の保存は小学校2年生頃の年齢で理解できるようになる。この段階に達する前の子どもは、容器の大きさや水位の高さによって混乱させられ、目の前で移し替えるのを見ていても理解できない。であるから、この認知可能な段階に発達するまでこのことを教えても理解できないということになる。

しかし私は、担当していた自閉症の子どもには、数よりも量的な比較による「多い・少ない」を取り上げることにした。この自閉症の子の場合、簡単な足し算などは頭の中に入っている。数的なものは抽象的な足し算引き算の「記憶された計算」に結びつきやすいと考えたからである。そして教える内容は保存の法則を認知できる段階の内容ではないので、先ず用意したのは、同じ大きさ同じ形の透明のボウルである。そして、数えるには時間のかかる大量の大豆。

同じ大きさ同じ形の透明のボウルに、明らかに量の違う大豆を入れる。二つの容器に入れた大豆を手で掬ったり、器の中にこぼしたりしながら感触を確認した後、「多い」、「少ない」という言葉をそれぞれに当て嵌める。大豆で学習したことを小豆に替えてやる。
次に同じ大きさ同じ形の二つのコップを使って水で「多い・少ない」を学習する。次に水をジュースに替えて学習し、最後に、「多い方をどうぞ」と、飲むことを勧める。

量での学習が終わった後に、数での「多い・少ない」を学習する。同じ大きさ同じ形で色だけを違わせたもので1対1対応させながら、学習する。その後、大きさや質の違うもので1対1対応させながら「多い・少ない」を学習する。

これらの学習は、内実を伴った足し算や引き算の基礎となるものである。


もう一つ、対照的な二つの概念で取り上げたのが、「内・外」「出る・入る」であった。これは教室に教具としてあったフープを使ったり、段ボール箱で家を作ったものから出入りするごっこ遊びによって学習した。又、「○○さん、お入んなさい」という縄跳び遊び等でさらに広げていく。


 高校から大学へ進むとき、とても大変な挑戦が待っていた。自閉症者は変化に弱い。高校を去るという大きな変化に対応するにあたって、私には人生の転機を実感するための訓練方法が必要になったのだ。そこで、現実の入口や窓や門を何度も出たり入ったりして、その実感を確かめた。高校卒業も間際になったころ、私は寮の屋上に座って星を見上げながら、どうやって卒業という変化に向き合おうかと考えあぐねた。寮は改築中だった。拡張中の屋根に続く小さな扉を発見したのは、ちょうどそのころだった。私たちの寮はニューイングランド風の古くて小さいものだったので、拡張工事のために新しく大きな屋根をその上に建築中だった。ある日、大工たちが私の部屋に隣接していた古い屋根の一部を取り壊したので、外へ出ると完成された新築部分を見上げることができた。てっぺんに近い壁に、新しい屋根に続く小さな扉が見えた。建物は変化しつつあった。私にも、今や、変化の時がきている。この建物を見て納得する思いがした。ここに私自身の変化への適応を助ける象徴的な鍵があったのだ。
 大学に入ると、また、「卒業」という境目をスムーズにする象徴的な扉が見つかった。それは寮の屋根に出るための落とし蓋式になった金属製の扉だった。私は実際にこの扉を何度となく出入りして、順応する気持ちを固めたのだった。いよいよフランクリン・ピアース大学の卒業式を終えた後、三つ目のきわめて重要な扉ー図書館の屋上にあったのだがーを通り抜けたのである。
 私はもはや、人生の転機に扉を出入りする実感体験を必要としない。
(テンプル・グランディン=著『自閉症の才能開発』(学習研究社)より)

私はこの文章を読んで、言語の身体化ということを思う。「身につく」という言い方があるように、言語も身体化することで、生きていくための力となる言葉として身につくように思われる。




● 責任転嫁ばかりしていたら・・・
燃料代3兆3000億円の増加も円安が原因で、原発停止が理由ではありません。原発は野田政権当時から全部止まっていたのですから。(抜粋引用)

● 目指せ!相続税100%(笑)と★0926 再稼働反対!首相官邸前抗議!
地方を救いたかったら、まずアベノミクスを止めろって(笑)。・・。
ボクには秘策がある(笑)。・・。それは『本当は、日本は相続税を100%にすればいい』ということだ。・・。
政府は金融資産を活用しろとか言ってるが、素人の老人にいきなり株をやれと言うのも無理な話で、株屋のいいカモになるのがオチだ。挙句の果てに日本の株屋の儲けは結局、ゴールドマン・サックスにでもぶんどられて他国へ流出するのが関の山だろう(笑)。・・。
●この30年の相続税対象の財産と徴収額とその割合
 ・・、『持てる者』がいかに優遇されてきたかが良くわかる。低所得層に負担が大きい消費税が導入されたのもその頃だ。(棒グラフの単位は1000億)(実際の棒グラフはリンク先をクリックしてご覧下さい)
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後期高齢者何とか制度みたいに老人からカネを取れと言ってるんじゃない。死んだ後だ(笑)!墓石が多少せこくなるくらいで(笑)、文句なんかないだろ。勿論ボクはない!(笑)・・。
経済評論家氏は『政治家の勉強会でも、TVでも言えないが、本当はこう思う』と言っていたが(笑)、おそらく相続税100%は日本を救う唯一の策ではないか。*実際には100%ではなく90%でも80%でも良い。
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ということで、今週も官邸前
国会前で共産党コンビ(毎回来るのだけは、偉いと思う)の後、練馬から来たという女性のスピーチが印象的だった。・・。練馬だけでなく西武沿線の人が集まって西武線原発連合というのをやっていて代表はネコ(素晴らしい!)、来年1月4日に高田馬場でデモをやるので来てください、とのことだった。この人は言葉は穏やかで、何よりも笑顔が素敵だった。やっぱり、これだよ。声高な言葉、非現実的な言葉は吐かないけれど、静かに笑顔で反対する。こういう人も大勢 日本全国にいるのだろう。久々にさわやかな気持ちになった。(抜粋引用)