風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『ヘレンケラーはどう教育されたかーサリバン先生の記録ー』より


最初と最後の1,2年を除いて、短い教員生活のほとんどを障害を持つ子ども達と過ごしてきた。その間、通常の子どもを対象に作られた指導要領は役に立たないから、子ども一人一人の課題も指導内容も自分で考えて組み立てるしかなかった。もちろん、私より先に学級を担当して心身を作っていく等の指針を持ってカリキュラムを作っておられる先輩教師がいらしたから、初めはそのカリキュラムに従って指導をしたのだが、言葉を持たず自傷行為のある子どもを直接担当した際に私を精神的に支えてくれたのは、教会で聴く説教と、『ヘレンケラーはどう教育されたか』というサリバン先生の手紙からなる書物だった。例えばその中のこんな一節に私は支えられていた。

私は何でもヘレンの思いどおりにさせておくことが、まったく彼女のためにならないことをおふたりにわかっていただくために全力を尽くしました。また、すべてが自分の思うままになるはずがないことを子どもに教える過程は、子どもにとってもまた教師にとっても苦しいものになりがちだということを指摘しました。おふたりは、一切を私に任せ、またできるだけ私を援助することを約束してくださいました。

(『ヘレンケラーはどう教育されたかーサリバン先生の記録ー』(明治図書)より)

また、波多野完治=編『ピアジェの認識心理学』(国土社)は子どもを理解する上で助けになった。戦後の日本は心理学でも教育学でもアメリカからのものを取り入れることが多かったのではないだろうか。ジャン・ピアジェ発達心理学も日本の教育の中央には入って来なかったのではないかと思う。けれど草の根的に浸透して、ピアジェの理論を元に教育や研究が進められてきたということは大いにあるように思う。

西村章次=著『実践と発達の診断』(ぶどう社)は、大規模な研究発表があった年に、「想いを伝える言葉」というテーマで自閉症児の指導内容をまとめる際に何度も何度も繰り返し開いてはあらゆるところから引用させてもらった書籍である。


私はこのところ自分がやってきたことをブログにまとめておこうと思うようになった。私のやったことは何一つ実ってはいないのである。教えた子どもたちが今どうしているかは知らないのだが、卒業の時点で、例えば言葉を話さなかった子どもが話せるようになったかというと全くそのようにはならなかった。その上、進路に関して保護者の考えと対立したために卒業前の半年近くを子どもの登校を拒否されてしまった。にもかかわらず自分のやってきたことをまとめておこうと思うようになった。それでなくてもブログのサイドに様々なカテゴリーがずらりと並んでいるのだけど、「育てる」というカテゴリーをもう一つ増やそうと思う。