風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ある日の粗食



粗食と呼んでいるものにお豆腐ばかり使っているとお豆腐をバカにしているように思われるかも知れないのだが、そうではない。この場合の粗食は、亜鉛含有が少なく、且つ亜鉛と銅の割合が10:1を超えないものということでの粗食なのである。


このお豆腐には柚子が入っているようなので、柚子の風味を消さないためにお塩で食べると娘が言うので、それならカルシウムの多い岩塩をふろうということになった。

昔ながらの「にがり」だけを使って作っているお豆腐はいいんだけど、消泡剤(何とかグリセリンとか炭酸カルシウム等々)とか何とか余計なものが入っていると不味い気がする。味覚に馴染みのない薬臭さを感じるのだ。なのにどうして入れるんだろうねぇ。
でも、意外と以前から地元で豆腐屋やっているようなところのものにそういうのが入っていたりする。高度経済成長時代の名残だろうかと思ったりする。

新しい気概を持って美味しい豆腐を作ろうとしている人達の方が昔ながらの製法へと回帰しているように思う。


こちらはチーズが二種類も使われているので、粗食と言えない気もするが、載せてみる。カッテージチーズにはナイアシンの多いピーナッツを刻んで混ぜた。パンに載せたハムをロースハムにすれば、皮膚を造るナイアシンを多く摂れると思う。


『死霊の盆踊り』(笑)と『7月の実質賃金』、それに★0905 再稼働反対!首相官邸前抗議! 
昔 江川という有名なピッチャーが甲子園の連投で肩を壊して、選手寿命が縮まったという話を聞いたことがある。大リーグでは肩のことを考えて登板時の投球数が決まっているという話も聞いたことがある。大人ですらそうなのに、誰も高校生の身体や将来のことを考えなかったのだろうか? 高校生たちは最後までやりたいかもしれないが、未成年の身体や将来のことまで慮り、必要ならば止めさせるのが大人の役割だ。責任者は高野連なのか新聞社なのか知らないが、(抜粋引用)

● ネット時代の共生の作法
今は科学者の業績を個人単位で計りますね。あれがいけないんです。科学の発展は個人が担うものじゃない、集団で担う事業です。卓越した研究者が一人出るときは、それを生み出すだけの土壌の厚みがあるものなんです。それを分断して、すべてを個人の業績に還元しようとする。そうなると研究者たちも集団のパフォーマンスを上げることよりも個人の業績を積み上げることを優先するようになる。それは学術的創造に逆行する発想なんです。(抜粋引用)
やはり私も、周りで支え合う仲間が必要だと思う。「個人の業績に還元しようとする」制度の中では妬みも生じ易く、競争原理の負の側面が出ると足の引っ張り合いになりかねない。(ミルトス)
● 旦那芸について
一人の玄人を育てるためには、その数十倍、数百倍の「半玄人」が要る。それが絶えたときに、伝統も絶える。
私が「旦那」と呼ぶのは「裾野」として芸能に関与する人のことである。余暇があれば能楽堂に足を運び、微醺を帯びれば低い声で謡い、折々着物を仕立て、機会があるごとに知り合いにチケットを配り、「能もなかなかよいものでしょう。どうです、謡と仕舞を習ってみちゃあ?」と誘いをかけ、自分の素人会の舞台が 近づくと、「『お幕』と言った瞬間に最初の詞章を忘れた夢」を見ては冷や汗をかくような人間のことである。
私はそういう人間になりたいと思う。(抜粋引用)
たぶん、こういう裾野(縁の下)の役割に徹し切れる人間を大人というのだろうと思う。(ミルトス) 

● 手話をするゴリラ