風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子49

淡黄のめうがの花をひぐれ摘むねがはくは神の指にありたき 『薔薇窓』

「葛原妙子48」で私は、最晩年の病の後、妙子が自分が歌人であったことさえも忘れていたと、川野里子=著『幻想の重量−葛原妙子の戦後短歌』(木阿弥書店)の中で森岡貞香氏によって語られていると書いた。しかし、妙子は本当に歌を忘れてしまったのだろうか、と疑問に思う。
上記「めうが(茗荷)の花」の歌は「葛原妙子18」でも取り上げたのだが、妙子がこういう歌を作っていたところから考えて、自分が歌人であったことを忘れたのではなくて、忘れたふりをしていたのではないかと私は思う。

ご長女猪熊葉子さんの『児童文学最終講義』には、妙子が「やっぱりあなたたちと一緒になりたいわ」と洩らしたので、その場で洗礼を授けたと記されているが、この「やっぱり」という言葉の中には、カトリックへの帰依を断固拒否していたということをはっきり記憶しているということが示されているように思う。

私は自分と誕生月日が同じだという理由で作曲家グスタフ・マーラーを偏愛している者であるが、マーラーについての書物を読んで恩師に「マーラーは曲を作ることを止めるべきだったのだと思います」と話したことがある。
読んだ書物のタイトルも忘れてしまい内容も不確かなのだが、ユダヤ人であったマーラーウィーン宮廷歌劇場の芸術監督に就任するために妻の宗教であるカトリックに改宗したと書かれていたと記憶している。マーラーは非常に死を恐れていて、これまでの大作曲家達が9番目の交響曲を作って亡くなっているのを気にして9番目を第九とせず『大地の歌』とした、けれど、次のシンフォニー第9番を作って後、やはり死んだというようなことが書かれてあった。こういったことを読んで私は、カトリックに改宗していたとしても作曲を続けている限り、心の平安は得られなかったのではないかと思ったのだ。死への恐怖を曲を作ることによって表現し、そのことによって解消するのではなく、沈黙して神の(救いを告げる)言葉に聴くべきであったのだ、と。
葛原妙子はこういったことに気付いていた人なのではないか、と私は思う。

やはり川野里子=著『幻想の重量』の中で、森岡貞香氏が、妙子が生前「『うちじゅうの者は、娘たちはみんなカトリックだけれど、私は信仰には入りません。罪が深くても歌人でございますから』と言っていた」と語っているが、そうであるなら尚のこと目が見えなくなり再び見えるようになった時、忘れたふりをしたと考えられるように思う。
パウロも目が見えなくなり再び見えるようになった時、改心したのである。葛原妙子はパウロについても充分承知していただろう。
妙子が生きていたとしてもそんなことを告白するはずはないだろうし、今となってはそれを確認する術も皆無ではあるが・・。

けれど私は、もし私の仮定が正しければ、妙子の最後は見事な最後だったと言う他ない、と思う。自分の心の中の「信じられなさ」や「愛せなさ」と対峙して安易に信仰へは入らず、しかも、おそらく若い頃から求めていたであろう神の元へ最後の最後に身を翻して帰って来たのであるから。何よりも大事であったはずの歌を手放して。

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(マタイ福音書20:1~16)

20年程前の牧師不在の礼拝で、この「ぶどう園の労働者」の譬えから長老がしてくれた説教が今も印象に残っている。この世の感覚では不公平だと文句が出るような譬えである。実際、聖書のこの譬えの中でも朝早くから働いていた者達から不満が出たように語られている。けれどこの時の長老は、夕方の5時まで働き場所のなかった人々の不安に言及して説教をまとめられたのだった。
私達は、とかく「不公平だ!」と不満を口にする。教会においても同じではないだろうか。若い頃に自ら求めて洗礼を受けて教会員になっていても、長い教会生活の中では、いつの間にか、若い頃から教会に仕えてきたために日曜も遊びに行くことも出来なかった等と思っていたりするのである。放蕩息子の話の中の父の元にずっと居た兄のように、弟を妬んだりしてしまうのである。しかし夕方の5時まで雇われることのなかった人々は一日の大半を不安の中に過ごしていたのである。
晩年まで信仰へと導かれなかった人というのは、この一日の終わり頃まで不安の中に居た人と同じだと言える。妙子は自らそうしたとも言えるが、それで平安の中にいたかというと全くそうではなかった。むしろ苦しみの中に居続けたと言えるように思う。

くるしみのしづかなるとき黒布(ぎぬ)にわが裏(つつ)みおく暗紅の石 『飛行』


鍵束を膝に鳴らしてどこへでもゆけるわたくしどこにもゆかず 『をがたま』

最終歌集『をがたま』には、様々に思い巡らすことの出来るこのような短歌が多いように思える。この短歌から思い浮かべた聖書の言葉を以下に記してみる。

エスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ福音書16:15~19)

「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。(ヨハネ福音書21:18)


これはどちらもペテロに関する聖書の記事である。妙子にはペテロを詠った以下のような歌もある。

(とり)啼くにペテロおもほゆ鶏啼くに一生(ひとよ)おびえしならむペテロよ『朱靈』
みたび主を否みしのちに漁夫ペテロいたく泣きしをわれは愛せり

妙子は、例えばユダについても詠っているが、ペテロへの思い入れは他の誰より深いように思える。確かに、ペテロが鶏が鳴く前に三度イエスを否んだ後に激しく泣く場面は胸を揺さ振る。しかしペテロはこの過程を、つまり自分の弱さをとことん思い知る過程を経なければならなかったのである、岩のように堅固な信仰を得るために。葛原妙子にも同じことが言えると思う。妙子が神の方へと向かうためには、その人生において、自分自身の「愛せなさ」や「信じられなさ」ととことん向き合わなければならなかったのだと。そして妙子は見事に向き合って、最後に、神へと帰って行ったのである。


「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカによる福音書22:31~34)

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。 「わたしの羊を飼いなさい。(ヨハネによる福音書21:15~17)




● 私たちは拒否する(Noi No):映画『NO』
このブログを読んでくださっている方の中に関係者が居たら申し訳ないけど、ボクは広報や広告、宣伝というものが大嫌いだ。金融とよく似ていて、実態のあるものは生産しないくせに、口先三寸で人を操ろうとする。他人を操ること、他人に影響を与えることに対する欲望、傲慢さ、押し付けがましさを感じるのだ。それでも仕事で時々関わらなくてはいけないことがあって、その都度ボクに辛く当たられる担当者は気の毒だと思うけれど、広告代理店とかへの大嫌いな感情はどうしても隠せない(笑)。時々若い子で『そういうお仕事がやりたいんです〜』とか言ってくる輩がいるが、そういう奴には絶対にやらせない(笑)。PRや宣伝がテクノロジーとして必要なのは認めるが、虚業、必要悪くらいの認識を持ってもらわないと困るのだ。
その、広告マンの物語(笑)。銀座で映画『NO』
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実話がベースのお話。CIAに支援されたピノチェトの悪辣なクーデターは世界中の多くの人から憤激を買ったが(わざわざ弁護レポを書いた曽野綾子など一部を除いて)、どうやってピノチェトを倒したかという話はボクは詳しく知らなかった。
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主人公は『チリ、喜びはすぐそこに』というキャッチフレーズとテーマソングで、国民に楽しさと希望を訴えるキャンペーンを始める。投票することを諦めるなと親しみやすく訴えかけたのだ。
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この映画をみたあと国会前のデモへ行ったので余計思い入れが強くなってしまった。日本の我々はチリの人たちから色んなことを学ばなければいけないのではないか。野党が保守から左翼まで大同団結できたこと、統一候補として保守派を出したこと(右から左まで誰でも投票しやすい人を候補にした)、外国からの眼を活用したこと(国内マスコミはあてにならない)、何よりも一人一人が諦めず、やれることをやったこと。結局 チリの国民も投票することを諦めなかったのだ。(抜粋引用)