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アトピーとの闘い'14−17(亜鉛は免疫反応の立役者ということ)

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1 亜鉛による獲得免疫応答を制御するメカニズムを解明
2 あとぴナビブログ「亜鉛と免疫応答の研究」

今回、あとぴナビで行っているモニターは、フィラグリンの産生を促すために亜鉛を媒体として用いたサプリメントを対象にしていますが、亜鉛は同時に、免疫そのものにも大きな役割を果たしていることが分かります。今後の研究の推移に注目したいと思います。(抜粋引用)

8月23日の記事で免疫反応に関する新しい研究発表のサイトをリンクしたのだが、今年7月に理化学研究所からも、免疫反応と亜鉛の関係を研究した新しい研究が発表されていたようだ。上記リンクの2は、理化学研究所の研究発表を受けて掲載された「あとぴナビブログ」の記事であるが、抜粋引用したように、亜鉛サプリメントで摂っていこうとする動きがあることが分かる。私は、こういった動きに危惧を感じる。

これまで、アトピー性皮膚炎だけでなく、リウマチなど多くの治療に副腎皮質ホルモン剤が使われてきたと思うが、薬の服用が長期化するにつれて効かなくなるということが言われていたと思う。副腎皮質ホルモンが亜鉛を体内から排出するという記述をネット上で見つけたが、この記述が正しく、さらに亜鉛がアレルギーを収束へと向かわせるという新しい研究発表が正しければ、対症療法的に副腎皮質ホルモンを使用していたこと自体が間違っていたということになるのではないかと私は考える。

薬やサプリメントを使用するということは生体内のバランスを一方向、あるいは逆方向へと大きく引っぱることになり、服用が長期化すれば、元に戻すことが難しくなると思う。
娘の場合もやはり薬を(およそ一年数ヶ月)服用させたために薬を止めた今もなかなか完全に元に戻すことが出来ないでいる。


亜鉛は確かにアレルギー反応を収束へと向かわせるのかも知れないと思う。しかし同時に、亜鉛の過剰摂取によってアトピーなどのアレルギー症状が引き起こされているのではないか、と私は考える。
アトピーとの闘い献立編(その前に、亜鉛と銅の含有比とナイアシン量)で、亜鉛投与で病気を治療する医療サイトに、『タンパク質の合成を促すという亜鉛の性質に目をつけた酪農家たちが、牛や豚などの食用家畜のエサとして使ってきたという歴史もあります』と書かれていた」と記した。こういった飼育がいつ頃からなされていたのかは知らないが、アトピーなどのアレルギー疾患が増え拡がった背景にこういったことがあるのではないかと考える。
例えば、関西は豚肉より牛肉を好む文化圏であると思うが、関西圏の方にアレルギー患者がより多いというようなことはないのだろうか?といったこと。又、学校給食に牛乳を取り入れだしたのはいつ頃からなのか?その時期とアトピーが増加する時期とは重ならないのか?といったことを考えてみる必要があるように思う。私が通った学校には給食はなかったが、うちの隣が牛乳屋だったので毎日牛乳は飲んでいた。
亜鉛を薬やサプリメントで摂る前にこういったことを考えてみる必要があるのではないだろうか。


右から左、左から右へと極端に方向転換しすぎると、上の図に記したような悪循環に陥るだけだと思われる。このサイクルから抜け出すためには赤い矢印の方へと向かわなければならない。

食事で治すために、以下に、乳製品を例に上げて注意点を記したいと思う。
牛乳の亜鉛含有は100gあたり0.4mgで亜鉛含有の高い食品には入らない。けれど、銅との割合で言えば40:1で充分に銅を損なう割合であると言える。
脱脂粉乳亜鉛と銅の割合は39:1で牛乳と比べてほんの少し亜鉛の割合が低くなるが、亜鉛含有は3.9mgで多い。そして銅を充分に損なう割合であると言える。
パルメザンチーズの亜鉛含有は7.3mgと高く、亜鉛含有の高い食品の上位に上がっていて銅との割合も48:1で凄い値である。けれど、亜鉛含有は0.7mgと少ないクリームチーズ亜鉛と銅の割合は70:1と凄まじい。夏になるとレアチーズケーキを作っていたが、これにはクリームチーズを200g使っていた。

このように亜鉛を摂取する場合には、含有量も考えなくてはならないが、銅との割合がどうかと考える必要もある。また、それらの食材をどのくらいの量使うのか、他の食材との組み合わせはどうか、といったことを考えていかなくてはならないと思う。

けれどこれを、サプリメントや薬で摂るとするともっと大変なことになる。以前、降圧剤を飲んでいる人でグレープフルーツジュースを飲んで亡くなったという事件があった(グレープフルーツには血圧を下げる作用があるため、薬との併用で血圧が下がりすぎた)が、そのようなことが起こってくると思われるからである。