風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

右左右左(うさうさ)脳という性格診断と聴覚人間、視覚人間

良く晴れた日曜の朝、「天気予報では途中から雨になるみたいだから、礼拝中に雨が降ってきたら、会堂の畳の部屋の窓を閉めてくれる。今、開けてるから」と夫に頼まれた。洗面所に居ると微かに雨が降っているように思えて、2階に上がって夫に、「もう雨、降ってる?」と尋ねると、「降ってるように見えないけど・・?」と外を見ながら言う。
「いや〜、聴覚人間と視覚人間にはっきり分かれるなぁ、うちは」と、心の中で独りごちた。

外に出てみると、もうすでに雨は降り始めていた。

昔から、性格診断のようなものが大好きなのだ。自分のことを知りたいという思いがある。自分のことを理解したいのかもしれない。

最近、左右の脳のどちらを使うかという脳の働きによる性格診断を知った。これは腕や指を組んだときに左右のどちらが上に来るかによって脳のどちらを使っているかを見るものらしい。例えば、祈るように指を組んだときに左親指が上に来る人は情報をインプット(理解)するさいに右脳を使っており、腕を組んだ時、右腕が上になる人は自分の考えをアウトプット(表現)する時に左脳を使うというように・・。この診断は設問事項に答えて診断されるタイプのものでないので、診断時の気分によって判断が変わるということがなく、客観的なデータが出るように思う。が、この診断がどれだけ科学的に証明されているものだかは分からない。過去に『ネイチャー』に研究発表されたか、どうだか(笑)?けれど、私としては脳に関わる内容にはとても興味があるのだ。

右右脳タイプの人は天才型のようだが、このタイプの人は世の中から理解されずに苦労しそうだ。自分ではあまり苦労しているふうには受け取らなさそうだけど・・?

この診断での私の脳の使い方は右左脳だと分かった。腕を組むときに、左腕を上にして組もうとするとかなり考え込んでしまう。腕がこんがらがりそうになる。指もやはり右指を上にして組むと異常なほど違和感を感じる。完璧右左脳っぽい!それで分かってきたことがいっぱいある!

自分の考えを左脳を使って表現するということは、言葉を使って論理的に表現するということだ。私の場合は、話すより書き言葉で表現する方が得意だ。
昔、俳句を作って師匠に見せる度(たんび)に、「状況説明をしては駄目!」と言われてた。挙げ句の果て、書き始めた本の紹介文を送った時には、「あなたは俳句も短歌も作らなくていいから!あなたにはこういうのが一番合ってる」と、「俳句の才能なし!」宣言をされていたのだった。そうか〜、やっぱりそうだったんだねぇ。至極納得。

けれど、情報を理解する時には私は右脳を使うようだ。
この前、アトピーとの関係で栄養素を図に表してみたんだけど、これなんか、左脳で分析する人から見ればデタラメな図にしか見えないだろう。実際、一目盛りの値なんかも、栄養素ごとで違っているのだから。けれど、毎日毎日の食事を管理栄養士のようなやり方で分析してカロリー計算とかして作ってたら、あっと言う間に日が暮れて夕飯も食べそびれてしまいそうだ。それに、こんなブログなど書いている時間は捻出できないだろう。「ニキビが出来てるからパントテン酸はひかえて亜鉛を多めに」とか、「顔の色が白く戻ってきたから亜鉛は足りている」とか皮膚の様子をぱっと見て、それならどういう食材を使って何を作るかと即座に判断出来なくては。幸い、娘も私と同じ右左脳なので、こんな図を作って伝授すれば、自分でアトピーをコントロール出来るようになるだろうと思う。

情報を右脳で理解するというのは直感で理解するということのようだけれど、その直感がはずれているかもしれないということは頭の隅においておく必要がありそうだ。「こうだ!」と思って間違っていることが結構いっぱいあったりするし・・(=勝手な思い込み)。

一方、情報を左脳で分析する人は、データに表れないものを理解するのが難しいのではないだろうか。長年私は夫に対して、「理屈じゃなくて、感情を汲み取って理解して欲しいのよ、私の」と感じることが多かったのだが、夫は左左脳人間だった。それで、結婚二十うん年にして、感情の面で何故分かって貰えてない気がするのか、ようやく理解したのだった。けれど左左脳の人には言葉で丁寧に自分の気持ちを伝えれば、案外すんなり理解してくれるようだ。ただ、こちらに、丁寧に言葉で説明する余力があればの話だが・・。

しかし私はどうも左右脳の人が一番苦手な気がする。家族以外の人の診断をしているわけではないので、具体的に左右脳の人を知っているわけではないのだが・・。左で理解して右で表現するという左右脳の人のところを読むと、気持ちや感情を汲み取っては貰えないで、しかも同情するように、自分の感情を押しつけられそうな気がしてしまうからだ。
だけど左右脳の人は小児科医なんかになると、とても良さそうに思える。データや症状を分析して病気を診断し、目の前の子どもに対しては、「苦しい?苦しいよね。でもこれから注射をするからね。すぐに終わるから大丈夫だよ。痛い?痛くない?はい、終わったよ。痛かった?痛くなかったでしょ?泣かないでお利口さんだったね。お大事に、また来てね〜」なーんて、凄い評判になりそうだ。だけど、データに表れてこない病気が潜んでいる場合は見落としそうだな。そういう場合は、右脳でキャッチする人とチームを組んでやると良いと思う。世の中助け合って生きて行かなくっちゃね。

この診断に適正職業とかは書かれてない。だから、ついつい勝手に妄想してしまう。私がまとめちゃおうかな、なんて思ったりして・・。右左脳の私には文芸評論家なんて職業どうかしら?駄目か!文芸作品もまともに読んでないのに、なれるわけがなかった。


気分を変えて、以下は、昔書いた本の紹介文から〜
もう二冊、中学生の娘に薦めた本を紹介しましょう。『12歳からのエゴグラム』と『パーソナリティ障害』です。

小学校5,6年の頃、「洞察力はどうしたら身に付けることが出来るの?」と娘はよく聞いていました。そんなことを聞かれても、そう簡単に答えられるものではありません。人によっては直感的に物事の本質を見抜く力を持っているということもあるかもしれません。けれど、ごく普通の人にとっては、物事を見るためには拠り所となるものが必要なのではないでしょうか。私も自分の洞察力を自負して、間違った思い込みをしていることが良くあります。

中学生になる頃から、自分の生まれ月の星座について調べたりしていた娘は「占いも含めて心理テストのようなものって大好き」と言っていました。それは、自分がどういう性格なのか知りたいという思いからきているのだと思います。若者が“自分は何者なのか”を問うことは自然なことです。けれど、星占いで自分の星座の性格はこうだから私はこういう性格だというのでは、自分を本当に知ったことにはならないだろうと思います。物事を見つめるための基準とするには、やはり科学的に裏付けされているということは大事だろうと・・。ですが、一つの事象が科学的な反証によって修正されていくということは、いくらでもあることです。科学的に正しいと言っても、今この時点での正しさにすぎないのだと思うのです。そういった絶対ではないものを絶対視することの中にも間違いは生じると思います。では、どうしたら良いのでしょう。私は、自分を客観的に見るためには、いくつかの視点を持つのが良いと思います。一つの視点を絶対視するのではなく、私にはこういう一面もあるという捉え方をするのが良いのではないかと思うのです。

さて、『12歳からのエゴグラム』は副題に“学校で生きぬくための心理学”とあるように、12歳位からの子ども達に向けて書かれたものです。アメリカの精神科医エリック・バーンが考えた“交流分析”という自己分析法を、弟子のJ.M.デュセイがグラフの形に表すエゴグラムにしました。これは、その交流分析に基づいて作られた性格診断のための本です。

もう一冊『パーソナリティ障害』の方は、境界性、依存性、強迫性など、10のパーソナリティ障害について解説し、接し方のコツや克服のポイントを項目別にまとめたものです。子ども向けに書かれたものではありませんが、巻末に米国精神医学会の最新の診断基準に準拠した「パーソナリティ自己診断シート」が付いていて、点数の高かった項目だけに目を通すのであれば、中学生位からでも読むことが出来ます。

高橋久=著『12歳からのエゴグラム』(ぺんぎん書房)2004年12月発行
岡田尊司=『パーソナリティ障害』(PHP新書)2004年7月発行