風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『マチルダは小さな大天才』ロアルド・ダール=作(評論社)

以前書いた紹介文から

ロアルド・ダール=作『マチルダはちいさな大天才』(評論社)
チルダが入学した小学校の校長ミス・トランチブルについて、ダールは次のように書いています。
「大股に、腕を振り立てて」歩き、「行く手に、何人かの子どもがかたまっていたとしたら、彼女は戦車のように彼らのなかに突っこみ、ちびっこたちを蹴散らして進む。ありがたいことに、わたしたちは、この世で彼女のような人間にそう多くはお目にかからなくてすむ。ただ、こういう連中が実在することはたしかであって、わたしたちのだれもが、一生のあいだで、彼らのうちの少なくともひとりに出くわすことはありそうだ」
その上この物語には、ハンマー投げで子ども達を2階の窓から外へ放り投げたりする場面も描写されていて、なんだか学校で読み聞かせるにはちょっと憚られるような感じです。けれどダールは人間の醜悪さをそのまま描き出しますが、徹頭徹尾子どもの側に立っている作家であることは確かです。

『鬼畜』という1978年に作られた映画があります。これは、断崖から我が子を投げるという実際にあった事件を題材にした松本清張の同名の小説を原作にして作られたものです。そのラストは原作とは違って、助けられた子の前に連れてこられた父親に向かって、その子が「父ちゃんじゃない」と激しく否定する場面で終わります。警官の前で父親だと認めれば殺人の罪に問われるのですから父をかばったという捉え方も出来るかもしれません。けれど、この激しい否定の言葉に、「自分を捨てた親を、この子は捨てたのだ」と、その映画を見た時、私は思ったものです。
チルダも物語の最後で、悪事をはたらいて外国へ逃げ出そうとしている両親を捨てて、年若い教師ミス・ハニーとの生活を選び取ります。子どもは小さければ小さいほど、親の(もしくは、親に代わる大人の)愛がなければ生きていけないのではないでしょうか。けれどもダールは、「親というものは自分の子どもを愛しているものだ」などとは決して言いません。

椎名麟三『愛について』という随想集があります。「人は誰をも本当に愛することは出来ないのだ」という事実に苦しみ抜いた椎名はこの随想集の執筆の途中でキリスト教の洗礼を受けていますが、この『愛について』では椎名は、神からの愛で全てを解決しようとはしていません。むしろこの書では、「人は本当には愛することが出来ない」と結論付け、最後の章は「だから愛に区切りがあることこそよろこぼう。そしてその区切り一ぱいに、私たちは、私たちの愛でみたそう」と締めくくっています。
聖書も「お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ」(ホセア書6:4)と言っています。この聖書の言葉は、愛の幻想に陥って「自分は人を愛せる」等と思い上がりそうになる時の私の戒めの言葉です。

それがどんなに過酷なことであっても、真実を知った方が幸せに近く生きられるのではないでしょうか。二十数年経った今も、私にとって椎名麟三『愛について』は決して捨てることの出来ない大切な本です。自ら苦しみ抜いて、人間についての一つの真実を教えてくれたからです。ですから、この、ダール『マチルダはちいさな大天才』も子ども達にとって必要な本に違いないと、私は信じています。