風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『凍りのくじら』辻村深月=作(講談社文庫)


『凍りのくじら』辻村深月=作(講談社文庫)
  『ぼくにとっての「SF」は、サイエンス・フィクションではなくて、
  「少し不思議な物語」のSF(すこし・ふしぎ)なのです』(藤子・F・不二雄

『凍りのくじら』の各章にはドラえもんの道具の名前が付けられている。
藤子・F・不二雄を尊敬する主人公、芦沢理帆子は、出会うものに「スコシ・○○」と名付けて物事や友人の性質を分類している。周りにいる友達からは「男っぽいし、大好き」「いい人」「どんな話でも聞いてくれる」等と評価されている理帆子だが、理帆子自身は自分のことを(少し・不在)と捉えている。以下引用。

『どこでもドア』を持つ私は、屈託なくどこのグループの輪にも溶け込める。愛想よく馬鹿のふりをしながら。親身になって話を聞いて、いい人ぶりながら。どこでも行けるし、どんな場所や友達にも対応可。だけど私は、Sukoshi・Fuzai(少し・不在)だ。いつでも。・・どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない。それは、とても息苦しい私の性質(『凍りのくじら』より)
この本は娘から勧められて読んだものだ。娘に勧められてこの本を読んだ娘の友達も娘も、理帆子の(少し・不在)に共感したという。けれど、50歳を過ぎた私の心を捉えたのは、理帆子の母の遺した言葉だった。

尊敬していたカメラマンの父が失踪してから理帆子は母と二人だけで生きてきた。心のすれ違いと葛藤を抱えながら。けれど、その母も卵巣癌に倒れる。そうして、最後まで、娘を抱きしめることも、互いに感謝の言葉を交わすこともなく逝ってしまう。なんてリアルなのだろうと思う。死に際に手を取り合って「ありがとう」と言うことなんて滅多にありはしない、と私は思う。現実とはこんなものだ、物語とは違うと納得させられる。
私の母が最後に遺した言葉は「ありがとうね」だった。母の入所する施設からの帰り際の私へ向けた言葉だ。けれど、この次会うまでに亡くなる等と思っていなかった私は何も言わなかった。私の母への思いは一言で言えば「不憫」である。働き通しに働いて頸を痛め、最後は車椅子の生活になったのである。その母の最期に、私が言いたかった言葉はやはり「育ててくれてありがとう」だったのだ。けれど、そのように言うこともないまま逝かせてしまった。
『凍りのくじら』の中の母・汐子も、『帆』というタイトルを付けて構成した夫の写真集の中に、理帆子への言葉を遺していた。失踪した夫への溢れるような思いと、理帆子への感謝の言葉を。


この物語の中では、ドラえもんの道具がとても大事な役割を担っているが、中でも大事なのが、のび太の海底鬼岩城』に出てくる「テキオー灯」だ。「海底でも、宇宙でも、どんな場所であっても、この光を浴びたら、そこで生きていける。息苦しさを感じることなく、そこを自分の場所として捉え、呼吸できる。氷の下でも、生きていける」ー「テキオー灯」。

あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。(イザヤ書60:2)

ところで、私はファンタジーが苦手なのだが、この物語もファンタジーに彩られている。そして、読み終わってからもいくつかの不思議は解明されないで残ったままだ。別所あきらというのは理帆子が見ていた幻影だったのだろうかとか、カランと軽い音を立てて落ちた懐中電灯は誰が持っていたというのだろうか等々。けれど、現実の世にも不思議は存在する。私たちの心の中に生起しては消えていく「思い」というものも、目には見えず証明もできない。けれど、確かに存在するのだ、愛情という名の「思い」も・・。
この物語は、(すこし・ふしぎ)なことがこの世の中にも存在するということを描いていたのだ、と私は思う。この物語自体が、(すこし・ふしぎ)、SF だったのだ、と。

暗闇の中にうずくまっていた民は大いなる光を見、死の陰の地にうずくまっていた民に光が照った(マタイ福音書4:16)
すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネ福音書1:10)

明日の夜は、SF(すこし・ふしぎ)なクリスマスである!

そういえば、若い頃の私も、(少し・不在)だった。