風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

アロマセラピーを用いた「アトピーとの闘い」を書いていて思い浮かべた聖書の言葉

アロマセラピーで中心となるのはもちろん精油と呼ばれるアロマ・エッセンシャルオイルである。ハーブ療法では薬草としてのハーブが中心となるだろうけれど、ハーバル・ウォーターやフローラル・ウォーターは精油を蒸留した後に残ったものであるから、アロマセラピー的には副次的なものだと言えるだろう。又、ホホバ油などの植物油も、精油を塗布するためのベースオイルや皮膚に浸透させるためのキャリアオイルとして用いられるために脇役であると言える。けれど私は、娘のアトピー性皮膚炎に対抗するために、精油よりはむしろハーブ水や植物油の方を中心的に用いた。精油は蒸留され濃縮されているため、強力なのである。強力であるということは場合によっては副作用も強く出るということである。

こんなことを考えていて、聖書の御言葉を思い浮かべたのだった。
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(コリントの信徒への手紙二12:9)
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(コリント人への第二の手紙12:10)
すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。(コリント人への第二の手紙13:4)

そしてイエス様もエルサレムに入られるときに小さなろばの子を用いられたのだ、というようなことを思い浮かべたのだった。
「弱い時にこそ、強い」、「弱さの中の強さ」とは何だろうと不思議に思うのだが、アロマセラピーにおける精油とハーブ水と植物油のことを考えてみると何となく分かったような気がしたのだった。


精油は植物から抽出したものだが、その精油に含まれる成分の一つを単離して化学的に合成し、薬として使われているものがある。たとえば、アズノール軟膏というのはカモミール・ジャーマン精油に含まれるカマズレンを化学合成して作られたもの(『医師が認めたアロマセラピーの効力』)だそうだ。薬というのは、対症療法的に目的を一つにしぼって使えば効果がすぐに現れやすいのだと思う。けれども、効き目が強いというのは、一方向に傾くということでもある、と思う。

「ホルモンは多すぎても少なすぎても逆効果を生じます。この点、精油は内分泌系全般に作用して、全体を調和するように働くといわれます。精油の持つバランス作用のためです。一方、単一の合成ホルモンはバランスに欠けて適量を微調整できないので、副腎機能や食細胞の抑制、リンパ腺の働きの阻害など、多岐にわたる副作用が出易くなります」と、井上重治=著『生きる力』には書かれている。

こんなところからも私は聖書の御言葉を思い浮かべる。
わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、・・。(ローマの信徒への手紙12:4~6)又、第一コリントの12章には、「もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです」(12:17~18)と書かれていて、「目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません」(12:21)などと面白いことも書かれている。
けれどこれを、精油の一つ一つの成分がどれも大事で、無数に含まれている成分が一つになって働くということに当てはめると、とても良く分かる気がしたのだ。

折しも昨日の新聞の書評欄には代替医療解剖』という本の書評が載っていて「科学的に理解できないからと言って、代替医療を頭から否定するのではない。医療にとって大切なのは、治療の効果だという出発点から、あらゆる代替医療の主張をいったん受け入れ、・・」と書かれていたが、こういう言い方からして西洋医学だけが科学的で唯一正しい医療だと言っているように私には聞こえる。これは、薬理学とか栄養学といった分野を全く念頭においていない人の言葉だ。

同じ新聞に今年8月の下旬からアトピーに苦しんで来た方の連載がされていたが、この方が1000人以上の成人のアトピー患者から集めたアンケートによると、4割以上の人が症状が重いために休職や退職を経験しているという。そしてほとんどの人が薬を使っても治らず、長く患い続けて、今は薬を使っていないとアンケートに回答しているという。「医療にとって大切なのは治療の効果だ」というのであれば、この実体は何を示しているだろう。薬を使った西洋医学ですら病を治療出来ていないということではないか。

西洋医学であれば本当に科学的だと言えるのだろうかと私は思う。科学的な西洋医学であれば病を治すことが出来るというのだろうかと私は疑問に思う。目に見えた効果を期待する者は、一時の薬の効果を評価して治ったと思うかも知れない。そしてそれをもって科学的と思うかも知れない。しかし、本当の治癒というのはそういった一時の効果では判断できないものではないだろうか。そもそも科学的であるとはどういうことか。かつて科学的に証明されたといわれたものであっても覆されることはいくらでもあるだろう。体に良いと言われていた物が今では悪くなっているということだっていくらでもある。

娘が小さかった頃、雑誌に載っていた漢方治療を行う医院へ連れて行ったことがあった。しかしそこの医師は娘の体を見ることもせず、「アトピーなんです」と私から聞いただけで津村の漢方薬を出して終わった。しかし、それだけならまだ諦めてお終いにしただけだろうが、待っている間に偉い先生が来られているから話を聞いて行くようにと言って聞かされ、ユーホーという力のある水という代物を持ち帰らされた。飲んでみると血なまぐさい味がした。鉄分の入った生理的食塩水ではなかったかと今にして思うが、このことの為に私の中で、その医院は怒りと共に記憶に残った。そしてそこへは、二度と娘を連れて行かなかった。

西洋医学だろうが、漢方医だろうが、代替医療だろうが、皆同じだと私は思う。分かれるとすれば、本物か偽物かの二つだけである。では、本物と偽物はどこで違ってくるのだろうか。それは、人の弱みにつけ込んでお金儲けをしようとしているのか、患者の病気を、苦しみを少しでも軽減するために自分の持てる限りの力を使おうとしているのか、その違いである。

私は、西洋医学もキリストの体の一つの部分になった時に、神から充分に用いられるものとなるだろうと思う。