風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『漁師さんの森づくり 森は海の恋人』と、三陸の復興は新しい発想で進める!

森林に降る雨音を歌と聞く ここはペンション夏の休暇の
今泉みね子=著『みみずのカーロ』(合同出版)
畠山重篤=著『漁師さんの森づくり』(講談社

小さい頃の娘は「○○は何のためにあるの?」と、良く尋ねる子どもだった。例えば、「ハエはなんのためにあるの?」という具合に。でも、そんなことを聞かれても神様ではないのだから、こちらも返答に困る。私だって「ハエなんて創られなければ良かったのに」と思っているくらいなのだから。そんな娘におあつらえ向きの本を見つけた。今泉みね子=作『みみずのカーロ』
シェーファー先生の自然の学校”というサブタイトルでも分かるように、この本はドイツにある小学校のシェーファー先生の環境教育を紹介したものだ。この本を読みながら私たちは、メルディンガー小学校の子どもたちと一緒に、みみずが生ゴミや落ち葉や鉛筆の削りかす等を土に分解していく力の凄さを追体験していく。これを読むと「気持ち悪いだけのみみずなんて、神様はお創りにならなければ良かったのに」なぁーんて、思わなくなりそうだ。
シェーファー先生の取り組みは、教室でのガラスの箱に入ったみみずの観察から始まって、地域の人達の協力を得て昔からメルディンゲンにある仕事を子ども達が体験するという活動へ発展していく。ゴミの問題と動物達のすむ川や森などの環境、子ども達の未来の仕事がすべて関わっていることが分かる。

もう一冊、全く関係がないと思われるものが深い関わりの中にあることを書いた本を紹介しよう。畠山重篤=著『漁師さんの森づくり 森は海の恋人』
三陸リアス式海岸の海で育った畠山さんは、お父さんの代からカキの養殖をしていた。その畠山さんが海の異変に気づいたのは、昭和39年頃だそうだ。1984年、フランスのカキ養殖の視察に行った畠山さんは、帰国後、漁師仲間に声をかけ室根山に広葉樹の森をつくる活動を開始する。落葉広葉樹の落ち葉が腐葉土になり、そこに降った雨が土にしみ入って地下水となり、カキの成育に必要なフルボ酸鉄を川から海へ運んでいくのだ。
それにしても苗を植えてそれが育ち、雨が地下水となって川にしみ出ていくまでにどれだけの年数がかかるのだろうかと気が遠くなって、私などはそこから先に進めそうにないが、ここの漁師さん達はそれを実行していったのだ。そして、それだけではない。山の小学校にも呼びかけて、子ども達を海に招き、海にとって山がどんなに大切かを学んでもらう体験学習も実施した。
この、山に木を植える活動は今では全国にひろがってきているようだが、このようなことを子ども達にこそ伝えたいと思う。未来を生きる子ども達にこそ。いつか、この本を小学校で読み聞かせることが、私の夢だ。

落葉の森にふる雨ながれゆき幾年後の命育てむ
昔、こんな本の紹介を書いた。帯の後ろに「総合の学習」などという言葉が使われていた頃のことだ。
その後、東日本大震災が起こり、三陸の海岸線は津波によって大きな打撃を受けた。けれど、畠山さん達はそこからも立ち上がり復興に向けて努力を続けておられる。が、そのような努力を水泡に帰させようとする動きが起きて来ている。

三陸の人達が長い年月津波と共に生きて来たことは、牡蠣養殖をしている畠山重篤さんの『漁師さんの森づくり 森は海の恋人』(講談社にも、ケセン語訳聖書翻訳者山浦玄嗣さんの『「なぜ」と問わない』(TOMOセレクト)にも書かれていることである。その三陸の海岸線に巨大な防潮堤を作ろうというのである。自分たち人間が作った福島原発の処理さえ何も出来ていないというのに!


復興は「後戻り」ではなく発想の転換・新しい「境界の物語」

人工海岸線なくし海と共生
美しい潟復活、観光再生 
赤坂 憲雄(学習院大教授・福島県立博物館長)

■震災後、何度も沿岸部の被災地を巡った。
 海岸線を歩いていて何度も泥の海にぶつかりました。陸と海の境界が曖昧になっていて、・・。かつて潟だったところを明治以降、埋め立てて水田にした。そこがまた潟に戻っていることに大きな衝撃を受けました。
 震災前はコンクリートの人工施設で守られた海岸線を自明のものだと思っていたけれど、実はつか間の境界だったのかもしれない。今回の震災が我々に見せているのは「境界の物語」です。海岸線が壊れて、昔の潟に戻ってしまった。その泥の海は僕にとって今回の震災を考える起点、原風景になりました。

■被災地の海はそのまま潟に戻してやる。そんな確信を強めている。
 ・・。
 農業を営んでいた人の暮らしをどうするかについては、再生可能エネルギー特区のような形が出来ないかと考えます。デンマークなどではエネルギーを作ることも農民の仕事になっています。農地はエネルギー生産の場でもあるという考えが当たり前になっている。農民が風車や太陽光パネルを立てて、電気を作って売る。それは決して荒唐無稽ではありません。
 被災地の海辺で「入会地」を復権させたい。私的な所有権で土地や環境を分割するのではなく、地域の人々で共同利用する。再生可能エネルギーも地域住民が「株」のようなものを持って、売電収入から配当を得るような地域の姿を描けると思います。
壊れた海岸線をコンクリートで固め直そうという発想は、将来への構想力の欠如に他なりません。(聞き手は編集委員・森晋也)