風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子の短歌とキリスト教

葛原妙子53

鷺・白鳥・鶴の類食ふべからずと旧約聖書申命之記 『鷹の井戸』「夏至の火」 水銀を含みにけりなしろとりの中なる鷺もつとも異(あや)し葛原妙子の第八歌集『鷹の井戸』の「夏至の火」の中には上記のような面白い短歌が組み入れられている。「食べるな」と…

葛原妙子52

夏至の火の暗きに麦粥を焚きをればあなあはれあな蜜のにほひす 『鷹の井戸』 葛原妙子の第八歌集『鷹の井戸』の「覚えがき」には次のように記されている。 このたびの新しい歌集のために、私はかねてから「夏至の火」(一九七三年作三十首の題名)という集名…

葛原妙子51

家の中が片付ききらないうちから、庭のことに手を出し始めてしまったので厄介なことになっている。庭というのは人を育てるのと差ほど変わらない手間がかかる。植物は生きているから・・。そんなことで時間が取られ、その上、陽にも当たり過ぎてふらふら眩暈…

葛原妙子50

● 『GDPの下方修正』と『原発避難者支援活動のリーフレット』、映画『トム・アット・ザ・ファーム』 『お母さんを支えつづけたい: 原発避難と新潟の地域社会』というリーフレットを頂いたので感想を。 机の前で考えているだけでは決してわからない類の話…

葛原妙子49

淡黄のめうがの花をひぐれ摘むねがはくは神の指にありたき 『薔薇窓』「葛原妙子48」で私は、最晩年の病の後、妙子が自分が歌人であったことさえも忘れていたと、川野里子=著『幻想の重量−葛原妙子の戦後短歌』(木阿弥書店)の中で森岡貞香氏によって語…

葛原妙子48

少年が成年となりてたくはへし頤鬚わかきキリストめきたり 『をがたま』 ここに詠われているのは、第六歌集『葡萄木立』の「後記」に語られている葛原妙子の「濃い血液をわけ与えている」男の子であろうか。それとも、長じてカトリックの司祭になられたとい…

葛原妙子47

あめつちのはじめの日に夕ありき朝ありき悪しきものは萌え出で『鷹の井戸』 葛原妙子は第七歌集『朱靈』で自己の罪と深く向き合ったと私は考えていたのだが、第八歌集『鷹の井戸』のこのような短歌を見ると、人間というのは難しいものだとつくづくと思わされ…

葛原妙子46

かすかなる灰色を帶び雷鳴のなかなるキリスト先づ老いたまふ『をがたま』 朴の木も橅も虛空にそばだつを夜陰の樹間いなびかりせり 凭(よ)りかかるキリストをみき青ざめて苦しきときに樹によりたまふ この三首は「葛原妙子32」でも取り上げたのであるが、…

葛原妙子45

葛原妙子の歌の中には「塩」に纏わる短歌が多いように思われる。第五歌集『原牛』では塩分濃度の高い死海を詠った歌もいくつか見られる。また、第七歌集『朱靈』では「塩」と「塩湖」とその周辺を歌にしている。鬼子母のごとくやはらかき肉を食ふなれば僅か…

葛原妙子44

使徒長き人差指に示したる羊なりしや葡萄なりしや『鷹の井戸』 「葛原妙子38」で「この歌の使徒は、イスカリオテのユダだろうかと何とはなしに思った」と書いたのだったが、町田俊之『巨匠が描いた聖書』(いのちのことば社)の中のマティアス・グリューネ…

葛原妙子43

私の「葛原妙子の短歌とキリスト教」はまだ終わっていない。けれど、ゆっくり歌の前に佇む時間が取れなくて、書けないでいた。 一番好きな歌についてもまだ書いていない。このまま死んだのでは死に切れそうにないので、今回は一番好きな歌について書くことに…

葛原妙子42

生ける鷹旋回しつつ虚空なる高き朴の香(かをり)に遇ひけむ『薔薇窓』 上記は、私の大好きな葛原妙子の歌である。この歌は、塚本邦雄=著『百珠百華ー葛原妙子の宇宙』の中で知った。 最後の部分を引用してみたい。「生ける鷹」とは言ひながら、血塗れの、…

葛原妙子41

郭公の啼く声きこえ 晩年のヘンデル盲目バッハ盲目『鷹の井戸』 第八歌集『鷹の井戸』にはこのような短歌が収められている。けれど葛原妙子の年譜を見れば、この短歌が単にヘンデルやバッハのことを詠ったものではないことが分かるだろう。妙子76歳の年に「…

葛原妙子40

十字架を詠ったものに比べて復活を詠った歌は葛原妙子の短歌の中には少ないように思うが、次のような一首は復活を暗示していると思われる。盆地に雲充つるけはひ暗黒の葡萄液美しきシャムパンとなるべく『葡萄木立』 葡萄の粒、及び葡萄液を、青、黄緑、みど…

ユダについての物思いー(葛原妙子の短歌とキリスト教で)

ユダについて書いた「葛原妙子38」を読んだ若いキリスト者からこんな疑問を投げかけられた。 神様はどうしてユダにこんな辛い務めを負わせるような形で私たちの罪の贖いをされたのか? キリストのユダへの憐れみは分かる。けれど、それならもっと違うやり…

葛原妙子39

葛原妙子の最終歌集『をがたま』の中には次のような短歌が収められている。十萬円のイコンを眺め立ちてゐるわれをみつむるイエス・キリスト『をがたま』 この短歌の前には次のような説明書きが置かれている。イコン=ギリシア正教会で崇拝する美しい板絵彩色…

葛原妙子38

使徒長き人差指に示したる羊なりしや葡萄なりしや『鷹の井戸』この歌の使徒は、イスカリオテのユダだろうかと何とはなしに思った。それで、イエスを捕らえようとして来たときにユダがイエスを指さしたと書かれている聖書の箇所があるかどうか調べてみた。が…

葛原妙子36

鉢に盛りし雪の結晶溶けやらず恩寵とは仮空のものながら『朱靈』 「想像によってつくりあげたもの」という意味なら「架空」であるはずだけれど、「仮空」という文字が使われているというのはどういうことだろうか。「仮の」とか「一時的な」ということを表現…

葛原妙子37

あの者らいづこにかくれし わがもとに食ふべし菓子のくさぐさのこりて『鷹の井戸』 「食ふべし」=「食(く)ふ」+「べし」(〜に違いない)の終止形だろうか?それなら、「菓子」が後にくるから「べき」でなければおかしいのではないだろうか?それとも「…

葛原妙子35

頬杖を突きてしあればニイチェ云ふかのぶきみなる客は来ざるか『朱靈』 これは、頬杖を突いていると「ルサンチマン(「恨みがましさ」と訳しても良いだろうか?)が心に巣くう」とでも言っているのだろうか。それとも「ぶきみなる客」だから、デーモンでもや…

葛原妙子34

「葛原妙子32」で最終歌集『をがたま』に収められた短歌を取り上げたのだが、今回は又、第七歌集『朱靈』へと戻りたいと思う。『朱靈』の「後記」には次のような言葉が記されている。 省みて『朱靈』をおもふとき、「歌とはさらにさらに美しくあるべきでは…

葛原妙子33

生誕ののち数時間イエズスはもつとも小さな箱にいましぬ『をがたま』 イエス・キリストは、皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令に従ってナザレからベツレヘムに向かった旅の途上でお生まれになった。そして生まれるとすぐに、イエスを殺害しようとするユダヤ…

葛原妙子31

青き木に青き木の花 纖(こま)かき花 みえがたき花咲けるゆふぐれ『葡萄木立』私は「葛原妙子26」でこの歌を引用して、「妙子も細かな花の一つとなって青い木の上で憩っているようだ」と書いた。人の目には見え難かったかも知れないが、葛原妙子は確かに…

葛原妙子32

生誕ののち數時間イエズスはもつとも小さな箱にいましぬ『をがたま』「葛原妙子31」で私はこの短歌を取り上げて、「美しい歌」だと書いた。では、この歌のどういった点が美しいのか。 それは、この歌の中に妙子の信仰が表されているからである。最終歌集『…

葛原妙子30

クリスマス・イヴを持たざる童女たち凍みし路面に石蹴りて遊ぶ『橙黄』 この歌の前後には、次のような短歌が連なっている。母子寮に燈(ひ)の入るが見ゆ電燈のほそきコードと主婦の影ゆれ 寡婦たちを支ふるさびしき歌のありつよく脆くきりきりとすさぶとき…

葛原妙子29

街の原の冬星に視力とどかざるわれを抱(いだ)きあるは象(かたち)なきかひな『飛行』 薄ぐらき谷の星空金銀交換所とぞおもひねむりし『鷹の井戸』 おほきなるみ手あらはれてわれの手にはつかなるかなや月光を賜ぶ 「薄ぐらき」の短歌について妙子が書いた…

葛原妙子28

「葛原妙子27」で私は、妙子は「(破れて)落ちる不安」を「原不安」として抱えていたのではないかと考えたのであるが、「落ちる」という不安を感じさせる短歌を以下に書き出してみようと思う。フォームを外れて着きし列車より夜の人暗き雪に飛びたり『葡…

葛原妙子27

私にとつては第六歌集にあたるこの『葡萄木立』が作られた期間は、前歌集『原牛』が作られた時のやうに平明な年月ではありえなかつた。私はきはめて身近に大きな葡萄の玉をみた氣がするのである。從つてこの歌集の名、『葡萄木立』は、この集中にある作品『…

葛原妙子26

「日向を若い父親に抱かれて子供がやつてくる。日向が眩しいだけではなく、見知らぬ人の顔をみると大きに照れてふにやつとわらひ、目を瞑つてしまふ。「弱々しいやつだ」と口に出して呟けるのは私が息子を通じてこの男の子に濃い血液をわけ與へてゐるからで…

葛原妙子24

鳥の巢のごとき高原の繁會にこころ逃れてあさきねむりぞ『飛行』 その胸よひた思ふなり肋骨が知慧(ちけい)のごとく顯ちたる胸を 椿の花の赤き管よりのぞくとき釘深し磔刑(たくけい)のふたつたなひら たれかきたり祕(ひそ)やかにいま死を勸(すす)めよ…