風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

陰謀論の最たるものに・・

spyboy.hatenablog.com ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが記録した会議の議事録に基づき、ヨーロッパの全ユダヤ人虐殺計画が立てられていく会議の様子が淡々と再現されます。 陰謀論の最たるものに超富裕層による人口削減の画策というのがあると思うのだが、…

『おいしいごはんが食べられますように』と「主の祈り」

慌てて食べてくある日の朝食。 山崎行太郎氏のYouTube動画で、芥川賞選考委員の記者会見にまつわる話が語られていて、高瀬隼子氏の『おいしいごはんが食べられますように』に興味を感じ、図書館で予約してきた。 予約だけなので、まだ中身は読んでいないのだ…

聖書的なあまりに聖書的な絵本『しあわせなふくろう』

教会の青年が何気に飾っていた絵本の内容が凄かった! 幸せそうに暮らしている二羽のふくろうに、百姓家の鳥たちが「どうして静かに仲良く暮らしているのか」と尋ねて、聞き終わると、「なんてまあ、ばかばかしい!」、「そんなことでしあわせになれるはずが…

あっけなく犯人が分かった。(真犯人は別にいた)

myrtus77.hatenablog.com 夜10時過ぎ、 猫たちがやってきた。 おそらくこの人は、子猫を眺めて餌をやって帰るだけなのだろう。 今度、現行犯で見つけた時は、「ここは駐車場の入口なので、猫が車に轢かれると困りますから、ここにキャットフードは撒かないで…

山上の説教から、「死んでも大丈夫なんです」へ

https://www.youtube.com/watch?v=C9lXJ6xWRwQ&t=175s (16:50~)神的暴力(略)民衆の暴動っていうのは良いか悪いかっていう次元を超えているんですよ。(略)(20:35~)そこ(刑務所)に膨大なお金とか食べ物とか色んな物を送ってくると、送ってくる人達の…

星野富弘詩画集『あなたの手のひら』より

庭に、今、あまり花が咲いていないので、 前から飾りたいと思っていた立ち枯れの紫陽花を・・。 あなたの手のひら ほしのとみひろ 立っていても 倒れても ここは あなたの手のひら 『あなたの手のひら』より

『聴く』10月、11月号(ペンテコステ礼拝のお説教)

『聴く』10月号 「新しい力に満たされて」(使徒言行録 2章1節~13節) ○○○○先生説教その1 ご依頼を受けてまいりました○○です。ご存じのように教会の暦では、主の降誕日、復活日、そして今日聖霊降臨日(ペンテコステ)が1年で大切な三つの記念日とされ、全国…

どなたかがアクセスして来てくださった過去記事を見て、顔から火が出る ー ドストエフスキー『罪と罰』

myrtus77.hatenablog.comしかしソーニャは、私たち人間の期待に添ったキリスト像のように思える。そして、ラスコーリニコフが人殺しだという設定もいけない。そういったところでしか罪を描き出せないというところが、私には気に入らないのだ。読者のほとんど…

〈説教〉について(小林秀雄の言葉から)

どうすれば良かったのかと巻き戻す逝ってしまった6月の海へ 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙つて処した。それについては、今は何の後悔もしてゐない。大事変が終わつた時には、必ず若しかくかくだつたら事変は起こらなかつただらう、事変…

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコによる福音書15:34)

「夫の本 ー『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』(秋月龍珉=著)」で私は、滝沢克己氏は「神の選びと裁きがナザレのイエスというキリストとしてこの世に来られた“人”の上に現されたというバルト神学の真骨頂とも言うべき(二重予定の)部分を理解していな…

夫の本 ー『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』(秋月龍珉=著)

myrtus77.hatenablog.com そう言えば、西田幾多郎関連の本を夫が持っていた、と思って探し出してきた。 秋月龍珉=著『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』。 1996年第1刷発行の分厚い本だ。中をちらちら捲ってみると、解説を八木誠一が書いているよ〜、まい…

牧会のための覚書3(赤星進=著『心の病気と福音 下』から)追記あり

四 神経症の治療について (3)精神科カウンセリング(精神療法) (略)そのすべてに共通していることは、治療者は患者さんを直接に助けるのではなくて、患者さんが自分で自分を助けられるように助けてあげるということであります。このことは、いわゆる支…

牧会のための覚書2(岡田尊司=著『パーソナリティ障害』から)

現在、境界性パーソナリティ障害は、ずっと狭い意味で定義されているが、かつての名残は、今もすっかりなくなったわけではなく、「境界性(ボーダーライン)」と診断されているパーソナリティ障害には、他のタイプのパーソナリティ障害が含まれていることも…

牧会のための覚書1(岡田尊司=著『パーソナリティ障害』から)

この本の巻末にある「パーソナリティ自己診断シート(DSM-Ⅳに準拠)」で、回避性パーソナリティ障害の項にはチェックが入らなかったのだが、中を読んでいると、こういうのとても良く分かると思えるところがあった。 ある患者さんがこんなエピソードを話して…

失調型パーソナリティと、『旺盛な生活者』

特徴と背景 失調型パーソナリティ障害の特徴は、一言でいえば頭で生きているということである。奇妙でユニークな思考や直感が常に生活や行動に影響を及ぼしている。何も考えていないようだが、頭の中の思考は驚くほど活発で、常に頭の中で対話していたり、自…

朝起きると、娘の頬骨に誰かに殴られたような痕が・・(アトピーとの闘い最終章)

朝起きると、娘の頬骨の辺りが殴られた痕のように赤黒く内出血している。「皮下出血」という言葉が思い浮かんで、最近何かで目にしたと思い、ネット検索をしていて思い出した。 「良かれと思って成した罪」ということで、ユースの会で話すために読んでいた本…

夏目漱石小品『文鳥』

引っ越しの荷物の中から夏目漱石の短編集を見つけ出して『文鳥』を読んだ。 ここには、自分への怒りが描かれている、と思った。 弄んで死なせてしまった自分への怒りが。 十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片附けた顔を頬杖で支えていると、三…

「地は混沌として、闇が深淵の面にあり」(創世記1:2)

創世記1章1−5節 「光あれ」礼拝説教 (抜粋) 1節の「初めに、神は天地を創造された」という宣言の後、2節以降に具体的な創造の御業が述べられています。まず、2節の言葉「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とあります…

自覚することの難しい「無自覚の罪」 ー ドストエフスキー『罪と罰』から

自分の罪というのはそれぞれに与えられる出来事を通して自覚されるものだろうと私は考えていて、私自身の「罪」についてはこれまでにいくつかの出来事を通して自覚しているのだが、ここでは、自覚することの難しい「無自覚の罪」について考えてみたいと思う…

「毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように・・」(イザヤ書53:7 聖書協会共同訳)

第二に、女性の不在について。神による「試し」の物語、絶対的責任の、極限の証しの物語であるイサク奉献は、徹頭徹尾、父と息子、男性的形象(父なる神、アブラハム、イサク)の物語であって、サラをはじめとして女性についてはなに一つ語られない。それは…

再建されるキリスト(『デリダ 脱構築と正義』から考察する)

私は今、あなたが買って持っていた『デリダ 脱構築と正義』に嵌まって読んでいます。栞が挟まっていた「アブラハムと責任のパラドクス」から読み始めました。 それで、「脱構築」とは、建て上げるための前段階なのだと思いました。 エレミヤに臨んだ主(しゅ…

「じっさいには神こそが決定するのです」(『デリダ 脱構築と正義』より)

さらに、デリラの「決定」論のもう一つ重要なポイントが、アブラハムの決定をとおして見えてくる。それは、「主体」には決定はできない、なぜなら、真の決定はある意味で他者の決定でなければならないから、ということである。 主体は決定することができない…

「祝福の源となる」(創世記12:1〜4)

「祝福の源となる」 2022年5月15日(日)復活節後第4主日 聖書箇所:創世記 12章1節〜4節 神は、救いの御業のためご自身の民を召し出されました。それがアブラハムであり、彼の子孫であるイスラエルです。そのアブラハムの物語がこの創世記12章から始ま…

高橋哲哉=著『デリダ 脱構築と正義』から、イザヤ書53章7節

彼は虐げられ、苦しめられたが口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように口を開かなかった。(イザヤ書53:7 聖書協会共同訳) デリダはまず、キルケゴールとともに、アブラハムの「秘密」に注目する。ア…

夫の本 ー『デリダ 脱構築と正義』(高橋哲哉=著)

このところの夫は、哲学者の哲学や思想を解説した本をよく買っていた。 『デリダ 脱構築と正義』(高橋哲哉=著)。この写真、デリダ自身かな? これもその一つだ。新しい本だ。 捨てなくちゃと思いながら捨てられず、中を開いてみると、栞を挟んだページの…

一粒の麦

誰かが持ってきたイースターのエッグスタンド。麦の穂が描かれている。 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。 (ヨハネによる福音書。第十…

もっと喜ばしい体を持って・・。

myrtus77.hatenablog.com キリストの復活は、単に魂が肉体から離れて行ったというのではなく、体をもって復活された。福音書は、どれもキリストが葬られた墓がからであったと記している。また、復活された主イエスが、復活を疑う弟子のトマスに向かって「さ…

断捨離への道は果てしなく遠い!

取りあえず放り込んだ本棚の中に、必要な本を探していて、驚いた! 同じ本を二冊も買っていたからだ。 夫はこの数年、買ったのを忘れて同じ本をよく買ってきていたが、お前もか!って。 いや、ほんとうに笑えない。 ♫ 君のゆく道は、果てし〜なく遠い ♫(古…

偶像崇拝と娼婦とソーニャ ー ドストエフスキー『罪と罰』38

「愛は、踏み留まる ー ドストエフスキー『罪と罰』37」で引用したラスコーリニコフのソーニャについての考察は、以下へと続いていく。 『彼女には三つの道がある』と彼は考えた。『運河に身投げするか、精神病院にはいるか、でなければ・・・・・でなければ…

愛は、踏み留まる ー ドストエフスキー『罪と罰』37

「ドストエフスキー『罪と罰』24」で、私は、「愛は、踏み越える」、と書いた。 しかしここでは、愛は「踏み留まる」のだ、と書かねばならない。 しかし、それにしても、こうした性格をもち、まがりなりにも教育を受けているソーニャが、けっしてこのままの…