風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

思索

大好きな米津玄師にちょっとイチャモン(『カナリヤ』)

『カナリヤ』のMVがユーチューブに上がってきたようだ。やっぱり本人が歌ってるのが一番いいよね。でも、映像はちょっと気に入らないところがあるのでリンクしないことにする。 米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』より「カナリヤ」 この歌の歌詞の中で最も注目…

岩尾淳子=文(砂子屋書房『一首鑑賞 日々のクオリア』)より抜粋リンク掲載

病苦より逃れんとしてキリストに触れたりし指どこまで伸びる 松村由利子 『光のアラベスク』 砂子屋書房・2019年 (略) 理由のない苦しみには耐えられない。罪と許しとの相関のなかに苦しみを理由づけることで救済が与えられる。作者は、そういう人類の…

山崎行太郎=著『小林秀雄とベルグソン』(電子書籍)、読み終えて・・

山崎行太郎=著『小林秀雄とベルクソン』は次の言葉から始まる。 矛盾にぶつからない思考が合理的なのではない。矛盾にぶつかることを恐れない思考が合理的なのである。つまり矛盾に直面しない思考とは、中途半端な思考であり、いわば矛盾することを恐れて、…

赤星進=著『心の病気と福音(上)』と、「エア聖餐」

赤星進=著『心の病気と福音(上)』に、「自我の業としての宗教心的信仰」と「私たちの中における神の業としての福音的信仰」ということが書かれていて、そこに、「分裂病の場合には、(略)幻想的な信仰になっていく」(p169)と記されている。 この本は、…

明日に向けて、今を・・。

先週の彼岸花を整えて、庭に咲き残った一輪を加えて、 そこに、丸葉縷紅草を加えて・・。 これが、 明日の朝、 どうなっているか? あなたは終わりまで自分の道を行け。そして、憩いに入れ。あなたは終わりの日に、あなたの受ける分を得て立つであろう。(ダ…

「そこには草がたくさん生えていた」(ヨハネによる福音書6:10)

聖書:ヨハネによる福音書 6:1〜14(新共同訳) イエスが病人たちになさったしるしを見た大勢の群衆が、後を追ってきました。 福音書は「山に登り」と表現していますが、おそらくは湖近くの小高い場所で、大勢の人たちが周囲に集まることのできる場所に行か…

「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(新共同訳聖書)

ヨハネによる福音書1章14節には「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と語られている。 この「言」とは「ロゴス」のことである。「ロゴス」とは「論理」である。 ここに先立って11節には、「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」…

ここで急に、「死に至るまで・・」(ヨハネの黙示録)とドストエフスキーの日記と『はるかな国の兄弟』

最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。(ヨハネの黙示録2:8,9 新共同訳) 食前に読まれたこのローズンゲンの御言葉を聞いて、聖書を開いて続きを確認した。…

『はるかな国の兄弟』のヨナタンとサウルの息子ヨナタン、そして米津玄師『迷える羊』から

『はるかな国の兄弟』の紹介で、「ここに登場する兄のヨナタン・レヨンイェッタをキリストをイメージして描いていると思う」と書いた。 myrtus77.hatenablog.com よけい 予型 旧約の出来事の中にイエスの出来事を予め示す型のことを言う。たとえば「アダムは…

米津玄師の『カムパネルラ』と、私の「青き天鵞絨」

天の川に列車走らせどこまでも君を乗せゆく青き天鵞絨 ふり向かば黒くびろうど広ごるを恐れゐて我、列車走らす 「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねぇ」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカ…

米津玄師の「友達よいつの日も愛してるよ きっと」をヨナタンの言葉として捉えると・・

ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結び付き、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。その日、サウルはダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着てい…

米津玄師『迷える羊』と、詩編の詩人

米津玄師の『優しい人』は、言わばドストエフスキーの「日記」のようなものなのだと思う。作者の核がこういったものに表れている。そこから『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、あるいは『カムパネルラ』や『感電』のような作品が生み出されるのだ。 優しく…

米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』

この春頃までは、「米津玄師」という名前を知らなかった。 昨年の夏、娘がよく『海の幽霊』を歌っていて、今年梅雨前に夏のように暑い日が続いた時、思わずその歌が口をついて出た。「開け放たれたこの部屋には誰もいない 潮風の匂い滲みついた椅子がひとつ…

「エジプトの初子を討った方に感謝せよ」(詩編136:10)

こちらに来てから、教会員の要望もあって、祈り会ではローマの信徒への手紙の初めからをやっていた。それが終わって、詩編の続きへと戻った。 詩編135編、136編には、出エジプトを振り返って「エジプトの初子を討った方に感謝せよ」(詩編136:10 新共同訳)…

ソーニャ(ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ) − ドストエフスキー『罪と罰』35

智恵や叡智を表す「ソフィア(Sofia)」は、ロシア語では「София(Sofiya)」と表記するようである。そのためか、岩波文庫の江川訳『罪と罰』では、ソーニャを「ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ」としている。 お察しのとおり、ソーニャは、教育は…

スヴィドリガイロフがソーニャに説教するというのは − ドストエフスキー『罪と罰』34

あなたにあげるのはあのひとにあげるのと同じことなんです。それにあなたは、リッペヴェフゼリ夫人に借金を払うと約束された、私は聞きましたよ。どうして、ソフィヤ・セミョーノヴナ、あなたはそんなふうに考えもなく、そんな約束だの義務だのを背負いこま…

花が咲いて枯れるというのは・・

花が咲いて 枯れるというのは、 感動が胸に拡がるということだ。 あなたが最も幸せなときには、この書は、何の価もないものかもしれません。けれども、あなたが不幸や病気や、心の傷つけられているときにこの書はあなたのものであります。私は平凡なひとりの…

花がしぼむというのは、

花が しぼむというのは、 感動がうまれるということだ。 meromeropy77.hatenablog.com

ちょっとここで、カラマーゾフのイワンのことを・・(加筆あり)

ドストエフスキー作品についてばかり書いているとアクセス数が低迷するようなのだが(笑)、構わず続けようと思う。 「ドストエフスキー『罪と罰』33」で『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフについて書いていて、イワンの台詞が気になった。 「おい、お…

「救い主として敬われたかった男」ルージンと、スメルジャコフ − ドストエフスキー『罪と罰』33

もう何年になるだろう、ずっと以前から、彼は心とろける思いで結婚のことを夢にえがき、それでもこつこつと金をためることに専心して、時節を待っていた。彼は心の奥底に秘めかくすようにしながら、品行がよくて貧乏な(ぜったいに貧乏でなければいけない)…

(暴露主義者?)レベジャートニコフと、ルージン − ドストエフスキー『罪と罰』32

まだ田舎にいるうちからルージンは、かつて後見をしてやったレベジャートニコフが、いまは若手の進歩派のちゃきちゃきとして、よく話題にのぼる現実ばなれした一部のサークルで羽ぶりをきかせている噂を聞きこんでいた。この噂はルージンをおどろかせた。ほ…

重荷となっている人々が錨となってつなぎ止めている − ドストエフスキー『罪と罰』31

「だって、みんながあなたひとりの肩にかかってきたじゃありませんか。なるほど、以前にも、みながあなたにおぶさっていた。(岩波文庫『罪と罰 中』p266) 『ちがう、今日まで彼女を運河から引きとめてきたのは、罪の意識なんだ。それと、あのひとたちだ、…

ポーレチカ、リードチカ、コーリャ − ドストエフスキー『罪と罰』30

ポーレチカ、リードチカ、コーリャというのは、ソーニャにとっての継母カチェリーナの連れ子である。 一番上のポーレチカはマルメラードフの臨終に際して、ソーニャを呼びに行くようにカチェリーナから命じられる。 「ポーリャ!」とカチェリーナが叫んだ。…

願いを共有する(祈りについて)

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。(マタイに…

祈りは、無力を知ったところから始まる

祈りについて考える会合の中で、一人の青年が、クリスチャンでない友人に祈って欲しいと頼まれたという話をしたそうだ。試験に受かって単位が取れなければ資格を習得できないから祈って欲しい、と。その時この青年は、自分が祈ったからといって試験に受かる…

神さまは、祈ることを、美しいことと見ていてくださる

「地の塩、世の光とされて」マタイによる福音書5:13-20 堤隆牧師説教 この立派な行いというのは、元の言葉は良いとか美しいという言葉が当てられています。「良い行い」、「美しい行い」、人が見て心惹かれる業、自分もああなりたい、自分も行ってみたい、そ…

ソーニャについてのラスコーリニコフの考察 − ドストエフスキー『罪と罰』29

しかし、それにしても、こうした性格をもち、まがりなりにも教育を受けているソーニャが、けっしてこのままの状態にとどまっていられないだろうことも、彼には明らかだった。やはり彼は、ひとつの疑問をふっきれない ーー なぜ彼女はこんなにも長い間、こう…

「神さまがなかったら、わたしはどうなっていたでしょう?」− ドストエフスキー『罪と罰』28

「求めよ、さらば与えられん」というイエスの言葉は聖書の中でもあまりにも有名な言葉だろうと思うが、これについて記されたルカによる福音書の方では以下のように続いている。 そこで、私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そ…

跪(ひざまず)く − ドストエフスキー『罪と罰』27

・・・・・ふいに彼は、すばやく身をかがめると、床の上につっ伏して、彼女の足に接吻した。ソーニャはぎょっとして、相手が狂人ででもあるかのように、思わず身をひいた。事実、彼は正真正銘の狂人に見えた。 「どうなさったんです。どうしてこんなことを?…

ソーニャ7 − ドストエフスキー『罪と罰』

兄はひとりきりではない。彼女、ソーニャのもとへ、兄は最初に懺悔にやってきた。兄は人間が必要となったとき、彼女のなかに人間を求めた。彼女は、運命のみちびくまま、どこへでも兄の後について行くにちがいない。(岩波文庫『罪と罰 下』p350) やはりこ…