風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

思索

最後の『聴く』(2024年1月号)

この最後のページに載せた八木重吉の詩を見て、娘は、比喩だということは分かるけど、これだと鍛冶屋さんの家(知人に鍛冶職人がいるので)か、火事しか思い浮かばない、と言った(笑)。 「まことに愛にあふれた家はのきばから火をふいてるようだ」この詩に…

型に入って型を出る(太極拳とキリスト教の講演レジメから)

引っ越し荷物の整理をしていると、他の教会でした講演のレジメが出て来た。 「いのちを巡る考察 ー太極拳とキリスト教ー 」。 そこに、太極拳を始めた理由というのを書いていた。 「説教をする中で、愛は机上の空論かと悩んだ」、と。 そして、教会の会議や…

「神の恵みに与った私達は、・・」(長老の説教補足からドストエフスキーまで)

夜うちに帰って、『福音と世界』の「キリストの信実によって義とされる」を、疲れて途中で寝ぼけながら、数日かけて読んでいた。 以下に、「キリストの信実によって義とされる」(パウロの義認論を見直すーその二)から最後の部分を抜粋引用する。 「霊の実…

「福音を語り続ける」(マルコによる福音書6:14~29)

「悔い改めを求め福音を語り続ける」 2024年3月3(日) 受難節第3主日 聖書箇所:マルコによる福音書 6章14節~29節 マルコによる福音書6章7節でイエスは弟子たちを派遣しました。弟子たちは信仰的に充分ではありませんでしたが,イエスの言葉に…

自分の罪を認識しなければ、神の愛を知ることは出来ない!

drive.google.com (22:20~)ほんとうに、神の愛はイエスキリストの十字架の死を通して現れたということを信じているのか?そこに神さまの愛があるのか、 それとも、漠然と、「神は愛であって、私たちを愛している」という、人間が思い描くそういう愛である…

サラサーテ『ツィゴイネルワイゼン』ー 8歳の吉村妃鞠による

youtu.be インタビューに応えて、作曲家の伝記を読んだりすることが曲の理解の助けになりますというように語っておられるようだが、この方(吉村妃鞠さん)は、この頃から、世界の不幸、人生の悲哀を感受しておられたのではないかと思う。 サラサーテ「ツィ…

ヴィヴァルディ『四季』「夏」ー 吉村妃鞠による

youtu.be ワルツ部分(10:32〜)が泣ける。 寂寥と悲哀、喧噪と嵐の中で、それでも人生を謳歌しようとする人間の姿が僅かに見える。 それが際立つのは、吉村妃鞠のソロ部分が素晴らしいからだ。 2022年4月 3回目の新型コロナワクチンを接種・会社に「打たな…

タロット0番「愚者」のカードとワンドの4

占いについては、この前の日曜に代読して頂いた説教でも、「わたしたちは明日を知らず、今をただひたすらに生きています。占いなどを頼りに明日を知ろうとし、幸せになることを欲しています」と語られていたのだが、私には「幸せになりたい」という感覚がピ…

偶像崇拝とは・・。(牧師とは?牧会とは?)

この前の日曜は受付当番だった。しかし年に1,2度受付に立ってもただ突っ立っているだけで体がスムーズに動かない。それで、気が利かない。 傍らに立っていた執事さんが初めてお見えになったらしき方に「この教会は初めてですか?」と声をかけられた。する…

今日のお説教、「福音には、神の義が啓示されている」(ローマ1:17)から ー ドストエフスキー『罪と罰』39

今日のお説教「恵みの再発見」(ローマの信徒への手紙1:16~17)より キリストの十字架によって示された神の愛が悔い改めに導くのである。…。信仰も神の賜物である。 今日のお説教では、修道士時代にルターが師から教えられたこととして「本当の悔い改めは神…

「とこしえの御腕がそれを支える」(申命記33:27 新共同訳)

とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。(申命記33:27 口語訳) この御言葉は、ティリッヒの「神は存在の根底である」という言葉に拘っていた私に夫が教えてくれた言葉だ。申命記にこんな言葉があるよ、と言って。 エシュルンの…

残響を吸い込む建物と、鉄の灰皿を花器にして花を飾る・・。

無響室と残響室。音の響きの違いを聴きくらべてみると…?※体感はもっとスゴいんですよ! #産総研一般公開2023 pic.twitter.com/sGaKuMAuV5 — 産業技術総合研究所(産総研) (@AIST_JP) 2023年10月12日 この違いは凄い!凄くよく分かる。 会堂を建てる時に、…

私に罪を思い起こさせる讃美歌

讃美歌252番 3節の最後に「ふたたび背かぬ真実をたまえや」と歌っている。 「ふたたび背かぬ」だ等と一体どんな裏切りをしたのか?と思われるかも知れないが、中学の頃に教会に足を踏み入れて、その後教会を離れたというだけのことだ。 洗礼も受けていたわ…

フジバカマ摘芯!と、牧師が寝たきりの長老制の教会

摘心 「てきしん」と読みます。たくさんの花を咲かせたり、実をつけさせたり、株のボリュームを増すために行います。 芽の先端を摘み取る作業のことで、先端の芽、頂芽(ちょうが)を摘むと、その下のふしにあるわき芽が伸びて枝数が増えるので、花や野菜の…

説教「永遠の祭司」と、「傷跡」(作詞=梶浦由記)

myrtus77.hatenablog.com にもかかわらず、傷跡だけはそのまま残された。なぜ、傷跡だけは残されなければならなかったのか。イエス・キリストこそ、罪を繰り返すわたしたちの永遠の祭司だからである。決して消えることのない傷跡こそ執り成しの力なのである。…

どうにかして伝えたいと思うこと。

インマヌエル、我らと共におられる神。 https://t.co/AvoC68VZye — メロメロピー77 (@syodainekosuke) 2021年9月22日 神戸の震災の一月か二月後だったかに教会関係の炊き出しのボランティアに参加した。 夫は休暇を取って福島に帰る前に、小さかった娘を連れ…

牧師は人格者であるべきか?(説教について、ちょこっと)

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。(コリント人への第二の手紙4:7 口語訳) 牧師は人格者でなくてはいけないだろうか? 否!だと言…

無意識の意識化の過程では(宮崎駿の新作から)

宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』を観てきた。タイトルで、ちょっと観る気が起こらなかったのだが・・。 宮崎作品を初めて見たのは、婚約式で行った福島でだった。『魔女の宅急便』。 2011年の『コクリコ坂から』は、その頃実習に来ていた神学生も誘っ…

夫の卒論(「信仰義認」)についてしつこく

卒論の第3章に「和協信条の信仰義認の理解」とあって、聞き慣れない信条だなと思い、調べると、「宗教改革当時のルター派教会の主要信条の内で、最後に出されたものである。一致信条とも言う」(ウィキペディア)と書かれていた。聞き慣れないはずだ。 しか…

「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは・・」(ペトロの手紙一 4:6 新共同訳)(「陰府降り」から考える)

つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。…

「オリーブ山へ行かれた。」(ヨハネによる福音書8:1)

今日お聴きしたお説教の最初の部分を書き起こして以下に掲載させて頂く。 1. 救い主としての孤独 先ず、8:1を取り上げたい。この訳では不十分である。最初に「しかし」をつけるべきである。直前に7:53と対照的なことを語っているからである。人々は一日の…

言葉というのは・・。

この前の日曜にお聞きしたお説教は落語のような語り口調だと思った。「そうこうしているうちに」というような言葉によってそう思わされたのだが、奇しくも同じ日の別の牧師の説教でも同じ言葉をお聞きして、そちらの方では落語調には聞こえなかったのだった…

先日のお説教と八木誠一氏の著作から(愛について、聖霊なる神について)

愛にとって人の資格や価値や意味は問題ではない。(中略)愛は計算ではない。 今、ここで出会っている、この人への集中である。一般的な善をより多く行なうということではない。 神の愛がそうなのだ。(八木誠一著『キリストとイエス』「イエスの思想」〈愛…

〈説教〉について(しつこく説教について考察する!)

myrtus77.hatenablog.com この説教の冒頭では、「わたしたちの信仰は伝えられたものです」と語られている。 説教も、「伝えられたもの」、「聴いてきたこと」、「受け止めた事柄」を語るものではないか、と思う。 だから同じようなことを語っているというこ…

2023年6月号の『聴く』

2023年1月29日(日) 降誕節後第5主日説教 ○○○○長老代読 ○○長老の祈り ○○長老は司式の時、代読者と聴く私たちのためにいつも祈って下さっています。感謝です! 誕生日の手紙 今日は、1月31日火曜日です。明日はあなたのお誕生日。 誕生日に、どんな聖書の御…

「伝道のために必要なこととは何か?」と、台風一過の朝の仔猫一家

伝道のために必要なことは、 教会があるということ。 神を礼拝する群れがあること。 主を信じて生きている人間がいるということ。 これらのことは、一つのことだ。 伝道のために必要なものとは、これだけである。 「静まって、わたしこそ神であることを知れ…

誰が信徒を訓練するのか?猫と人とどちらが賢いのか?

礼拝の後に、昨年暮れに具合を悪くしておられた方に「このところ体調はいかがですか?」と声をかけた。 「なんとか努力してやっています。自分で努力しないと神さまは一人一人のことは何もしてくれないので」と言われた。「それは信仰ではない!」と心の中で…

訴えると言われて・・(追記あり)

愛にとって人の資格や価値や意味は問題ではない。また愛は集中的であって、愛する人以外の一切を忘れる瞬間を知っている。これは盲目のとらわれ(これはいつも愛する人のことしか考えることが出来ない)とは別である。(略)愛は…今、ここで出会っている、こ…

信仰義認の根拠となる聖書箇所について、ふたたび

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではない…

田川建三訳によるマタイ福音書26:50とヨハネ福音書13:27、そしてマルコ福音書14:21

イエスは彼に言った、「友よ、あなたはこのために来たのか」。その時彼らは進み出て、イエスに手をかけ、つかまえた。(マタイ福音書26:50『田川建三訳著 新約聖書』より) そしてその一片とともに、その時に、サタンがその者の中へと入った。それで彼にイエ…